まゆみさんは歩くのが嫌いです。そして出かけるのが嫌いです。しかし知らない場所を見るのは好きなのです。そんなまゆみさんの趣味が「助手席でドライブ」です。
うちの車はスバルのサンバーという軽貨物車です。名前はサンバーたんです。軽といってもこのへんの貨物車になると、実はヘタな乗用よりも高かったりします。さらに貨物を積載して走ることが前提ですから、スプリングはかなり硬く、決して乗り心地がいいとはいえません。そしてなにより快適装備皆無。エアコンくらいはかろうじてある、という程度です。そのエアコンだって、冷やしまくるか、あるいは暖めまくるかの二択しかないようなものです。ドッカンズッキュンな感じのシロモノです。意味わかりませんか。
軽であることに迷いはありませんでした。これは俺がけっこう長いあいだ小包の配達のバイトをやっていて、車というと軽がサイズ的にいちばんしっくりくるからです。そして、あえて貨物にこだわったのは、後部が異常に広いからです。
軽貨物というのは、要するに箱です。ですから、スペース効率は最大です。そして俺は昔から車を「移動する部屋」にしたかったのです。もっとも俺は運転する人になってしまったので、後部座席はもっぱらまゆみさんの部屋になっています。
さて、まゆみさんは車の免許を持っています。堂々のゴールドです。
そして、免許は身分証明書として取得した、と断言するまゆみさんは、そのとおり、免許を取得してから以降、車の運転は一度しかしていません。自転車について書いたときにまゆみさんが断言していましたが、まゆみさんにとってエンジンは不要なものなのです。不要であり危険なものである以上、たとえなにがあっても運転しない。まゆみさんの理屈と行動の一致は徹底しています。
しかし運転はしなくても同乗者であることには問題ないようです。なんだかアーミッシュの文明に対する態度みたいですが、要は自分が運転しなければそれでいいのです。
まあそんなわけで、もっぱら運転は俺の役目、まゆみさんは助手席か後ろでくつろぐのが役目となっています。
また、ぽりんもドライブが好きです。ドライブというと自分の登場だといわんばかりに、必ず車に乗っています。うちの車はマニュアル車なんですが、ぽりんはギア操作もできます。でもセカンドとバックしか入れられません。それ以外のギアの存在は知らないようです。なんでセカンドとバックだけなのかはよくわかりません。
サンバーたんはいままで3万キロくらい走っていますが、たぶん、そのほとんどはまゆみさんが乗っています。助手席で乗った距離としてはかなりのものだと思います。オイルの違いによるエンジン音の違いを体感できる助手席専門の人ってあんまりいないと思います。タイヤの違いによる直進安定性の違いも体感できてます。
車を運転する人は、わずかな重量の違いでもあんがい体感できてしまったりするものですが、俺の体感はすでにまゆみさん込みで標準となっており、まゆみさんがいないと「重量バランスが狂っている」と判断されてしまいます。
サンバーたんは、北は下北半島の先端から、西は広島までけっこう広い範囲を走りました。車に乗っているあいだ、俺とまゆみさんがいったいどれだけの会話をしたのかはよくわかりません。どうでもいいことも話したし、そうでないことも話したかもしれません。たまにはサンバーたんもしゃべるのですが、俺にはサンバーたんの言葉は聞こえないので、まゆみさんが通訳することとなります。最近、洗車をしてないのとオイルを1万キロばかり交換してないんで、あんまり機嫌はよろしくないようです。
まゆみさんは、ドライブをしているあいだ、ひたすら周囲の光景を見ています。看板の文字とかも読んでいます。まゆみさんはそれを非常におもしろいと言います。知らないかたち、知らない風景、知らない人間、そんなものがまゆみさんの目を通じて記憶されていく様子を想像するのはなかなかに楽しいことです。まゆみさんの脳は、俺と同じ人間という種類の脳とは思えないくらい、俺のとは違っています。情報の入手手段から、その処理方法、そして出てきた結果のすべてが俺の予測の外にあります。まゆみさんが車に乗っていて、風景を眺めている。そのこと自体が俺にとってはおもしろいことです。
俺には夢があります。
1年くらい時間をかけて、ひたすらのんびりと日本中をサンバーたんで回ることです。車内には布団も完備されているので、どこでだって寝ることができます。その気になれば、弁当屋とかでてきとうに弁当買って、後部座席であぐらかいて食べることもできます。
まゆみさんの頭のなかに、たとえば三次市だとか、寒河江町だとか、輪島町だとか、音威子府だとかの風景がどんどん蓄えられていくのです。まゆみさんは、日本のあちこちの景色を脈絡もなく記憶していて、次に旅行をしたときには「ここ見たことある」というのです。俺が思いもよらないような場所で。「ここ前に来たときは、横風がすごかったよね」とまゆみさんがとつぜん言い出すのです。共有した時間が、まゆみさんのなかで確実に生きている。それ自体が価値のあることのように思います。
で、俺は片っ端から行ったことのある場所忘れるわけですが。
いや、場所の記憶力っておそろしいほどなくて。
ちなみに人間に関する記憶力はもっとひどいです。1年間一緒に働いたアルバイトでも、1年後には忘れてることがあります。ひどすぎる。
まゆみさんがドライブについて書きました。
http://munimunigyafun.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/20061130.html
俺も決して看板を見るのは嫌いではないのですが、運転手にはそこまでの余裕がありません。
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