日記を書く理由がやっとわかった。書くっていうほど書いてないんだけど・・・。
俺は書くのが得意じゃない。嫌いじゃないみたいだけど、ってかたぶん好きなんだろうけど得意じゃない。言いたいことがあるわけでもなし、残しておかなければいけないほどのことは考えてないし。
なのになんで書くのか。
どうやら俺はさみしいらしい。これは人恋しいっていうんじゃないだろうか。
文章でなにかを伝えるのは不自由が多い。
読み手がこちらの言葉を正しく解釈してくれているかどうか確かめる術がないから。
説明不足で理解できてない部分があるんじゃないかと不安になる。
頭の中にそんな多くの言葉が詰まってないから、うまい表現がみつからない。
言葉の順番を間違えるだけで意味が全然違うものになってしまいかねない。
そんなものは読み手の勝手なんだろうけど、俺は嫌だ。
だから俺は会話のほうが好きだ。30にもなって未だに人見知りするし、説明下手でうまく話せないけど、会話のほうがいい。
相手を見て言葉を選べるし、足りない言葉も付け足せる。会話のほうが伝わりやすいと思い。
もともと俺は話すのが好きだ。相手が聞いてなくてもなんのその、勝手に話す。相槌すら返してくれなくても話し続ける。すっげぇ迷惑なヤツ。MK2はよく聞いてくれるほうだ。寝起きは全く使いものにならないけど。寝起きといえばスマイルな。忘れんなよ。
俺は話し相手に飢えてるらしい。MK2によく言われる。
休日はともかく、店に行けば話し相手がいないってことはない。早朝勤Nさん(イニシャルN多すぎ)とはよく話すけど、ノリもいいし面白い。しょっちゅう聞いてもらってるなぁ、俺って思う。
夜勤Nとも、限られた話題ではあるもののけっこう話す。俺はやらないけど釣りとか、バスとか電車とか・・・夜勤Nなりに話題に気を遣ってるのかもしれない。見当はずれだけどな。
基本的に誰とでも話すようにしてるし、店にいて退屈はしない。けど、満足感とか充実感がない。
世間話も悪くない。うちにはテレビないし、新聞読まないし、近所付き合いしてないから、世の中どーなってんのかさっぱりわからない俺にとっては情報になる。でも足りない。なんとなく会話してるだけで、刺激がない。出来や良し悪しは別にして、頭使いたい。考えなくていい、わかってる会話じゃなくて、まだ知らない、考えたこともないような、そんな会話がしたい。わりと日常的に。最近はMK2もやたら忙しくてなかなか時間が取れない。
あぁ、そういうえば結婚する前からこれはあったな。
どこにももっていき場がなくて困ったもんだった。だからこぽりんとか他のがいろいろいるのか。
でもこのさみしさって、一般的にいうさみしいと一緒なのかなぁ。
さみしいって言葉の意味が実はよくわかってない。
普段さみしいなんて言葉使わないから。わからない言葉は使えない。
だったらなんで俺はさみしいという言葉を使ったんだろう。
さみしい。イメージできるのは一人、孤独。あとは恋愛関係。片想いとか。
一人はわかる。一人はさみしい。誰かとずっといるのは疲れるけど、ずっと一人でいるよりは誰かがいたほうがいい。それにこの一人ってのは、何人いるかを表してるだけだからなぁ。
でも孤独がさみしいのはわからない。人は誰だって孤独だ。俺は俺であり、他人は他人。俺が他人になって他人が俺になることはできない。そんな当たり前なことに孤独を感じるほうがおかしい。
恋愛ねぇ。対象がいないな。恋に恋する10代じゃあるまいし。そもそもMK2とは恋愛してないし。ってこんなこと言っていいんだろうか。なんにせよ、これは当てはまらないな。
とすると、間違ってるのは俺のイメージか。
さみしい・・・わからん。でもこの感じはさみしいだ、と俺の中のどっかの感覚がそういってる。
俺が自覚してないなんかがあるんだろうか。
このままだと、さみしい=話し相手に飢えてるってことになりそうなんだけど、それでいいのかなぁ?
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