料理ができる方が見たら、頭を抱えてかたまってしまいそうな日記をいまから書くことにします。ちなみに俺は、料理なんてまったくだれからも学んだことがないくせに、レシピとかそういうのまったく見ないでてきとーに作ってしまう人間であることをあらかじめ宣言しておきます。
仕事も早めに終わり、俺は家でパスタを茹でることにしました。ちなみに俺とまゆみさんは、素材類を買っても使いきらずにどんどん腐らせていくハイパースピード物腐り空間を生成する能力に長けているので、具材とかはすべて冷凍であります。
家にはパスタの買い置きがあります。たまたま目が合ったのがフェトチーネであったので、今日はそれを使うことにしました。早茹で4分とかいうものです。
まゆみさんはとにかく魚介類の味が大好きですので、冷凍のミックスシーフードというやつをまず炒めることにしました。このあいだ、この方法で市販のたらこソースと合わせたら「えむけーつー至上最高」というパスタができたのです。
さて、今日はフェトチーネであります。当然ソースはクリーミー系ということになるでしょう。そういう知識だけ持ってて実践をまったく知らない人間が往々にして信じられないミスを犯したりするのであります。
今日は市販のたらこクリームソースというのがあったので、それを使うことにします。しかしミックスシーフードを炒めてるうちに、だんだん事態がおかしな方向に発展してきたのを感じないわけにはいきませんでした。
ミックスシーフードを炒める瞬間の俺の図を再現してみます。
「よーし。今日はこのあいだ成功したシーフードミックスとか炒めてなんかおいしいバター醤油っぽいクリーミーソースとかだー」
「おー」
まゆみさんも答えます。
ざばざばざばー。
袋から直接ミックスシーフードをフライパンにずっぎゃーんと投下。
「うわあ、すっげえ煙がー。なんかフライパンすっげー熱そう! シーフードから煙出てるー。しかもなんかちょっと残っちゃったから、めんどくさいしこれも全部入れるねー」
残りのミックスシーフードをざばざばざばー。
具材とともに、袋の底に残っていた氷とかもまとめてフライパンに入りました。
じゅわーっと上がる煙と見る間にフライパンに溜まってくる水分。
「うっひゃー、フライパン祭りだー」
「おー」
実はまゆみさんは俺が作るパスタなんてどうでもいいのかもしれません。
冷凍具材ですから、解凍するまでは炒めるしかありません。
フライパンのなかは、なんだか煮物みたいな状態になってます。たっぷりの水分に浮かんでる具材。
というわけで、俺は危惧したのです。この水分の多さではとてもクリーミーにはなりえない。ちなみに俺の分は「卵とベーコンを加えるだけで簡単ごちそうカルボナーラ」というものでした。ちなみに卵が家にないです。この時点でもうおまえ死んでしまえ級になにもかもがうまくいってないんですが、後先考えずに行動して厄介な事態を引き起こし、しかも後悔すらしないのがポリシーの俺としては、ここでものすごく短絡的な解決策を思いつきました。
水分が多い=味が薄い。じゃあ醤油を足そう。
水分が多い=フェトチーネ向きじゃない。じゃあ俺のカルボナーラソースを足そう。
こうして、まゆみさんが食べるべきパスタは混沌の様相を深めてきました。解凍に失敗した水分がじゅわじゅわ出てるシーフードミックスに醤油で味付け、そこにカルボナーラソースが特攻。混ぜ合わせると、色がファンタスチックなことになりました。なんか煮しまった雑巾とか台拭きのような、世界中で日本人だけが馴染み深いような、生活感あふれる茶色になってきたのです。たぶん世界中のカルボナーラソースでも醤油に出会ったやつは数少ないに違いありません。カルボナーラソースは、醤油の海のなかで、なにかの理不尽な権力に対する抵抗のようにダマになってなかなか混ざり合いません。俺はそこに容赦なく菜箸という名の暴力を投入、鬼の形相でソースをかき混ぜます。どんどん煮詰まって縮んでいくシーフードが嘆きの涙を流していたかもしれません。
ここですべてが玉砕していることに気づいてソースをすべて捨てて一から出直せばよかったのでしょう。しかしこの期に及んで俺はまだ自信満々で「これならなんとかなるか」とか思っていたのです。いや、なんだかおつかいのついでにうまい棒を3本買ってポケットに詰め込んで帰宅、「お母さん、おつり落としちゃった」と報告する子供のような寄る辺ない不安があったような気がします。
そこに茹で上がりのタイミングだけは抜群のフェトチーネが投入されてしまいました。ああ。菜箸で混ざると、フェトチーネは不吉な肉じゃがっぽい色にどんどん染まっていきました。まるでフェトチーネをレイプしているような気分でしたが、俺は容赦しません。鬼畜です。フライパンの火を止めると、そこに最終兵器、たらこクリームソースを爆裂注入。
「や、やめ、混ざ、混ざる……」
フェトチーネの悲鳴を心地よいBGMに、俺は軽やかにソースと麺を合わせます。
そして皿に盛り付けました。
フライパンから、かわいそうな生き物のようにのろりゅ~んと皿に落下していくキメラのようなフェトチーネ。完成してしまったその料理を見て、俺は思いました。
「うわあ……」
背後では外食とか中食とかコンビニの食いものとか、そういうものに飽きあきしているまゆみさんが、俺の手作りのパスタ(のようなもの)を待っています。そのまゆみさんの前に、俺はこの遺伝子操作に失敗したような出身国不明のパスタ風のなにかを差し出すのです。
俺は、エンディングで死んでしまう健気なエロゲの病弱妹さんヒロインのようなせいいっぱいの笑顔を浮かべて、まゆみさんに「それ」を差し出しました。
「はい。食えるものになってなかったら、ごめんなさい」
まゆみさんが「それ」を口に入れる瞬間が忍びなくて、俺は背を向けてしまいました。逃げちゃダメめだ逃げちゃダメだなどと自分に言い聞かせるのですが、いちばん哀れなのは、その完成品から逃げられないまゆみさんだということに気づいたのは、まゆみさんが最初の一口を食べた瞬間でした。
「まずい、とは言わない」
まゆみさんは、複雑な顔をしていました。ちょっと文章で表現するのが難しいような表情でしたが、しいて言葉にするなら、味噌汁だと信じて飲んだものが、フルーティーな香りのするトロピカルティーでびっくり。しかもなぜかわかめ浮いてるよ?みたいな感じでした。
しかしまゆみさんはとにかく「まずい」とは言ってないです。
俺はほっと息をなでおろしました。
「よかった、食えるものになってたか」
「食えないことはない」
「そうか……」
「食べたことのない味だ」
未知の味宣言が出ました。
「あ、やっぱり……」
「そうだな。バターと醤油とシーフードの味がクリームソースに出会って、しかもたらこでクリーミーだ」
まゆみさんは、俺のありえないひみつ☆製造過程を正確に言い当てました。
まゆみさんは、食べものについてわがままを言わないとてもよい子なのですが、そのくせ舌がバカみたいに鋭敏なのです。はからずも証明してしまったように、分解能も抜群です。その能力がきっと必要以上にまゆみさんを苦しめているのでしょう。
「あの、食えなかったら捨ててもいいから……」
「捨てるくらいなら食う」
まゆみさんは、食べものというのはありがたくいただくもので、捨てるとか残すとかそういうことをとても嫌うのです。しかし1年くらい前に旅行で行った先の福島で買った「ままどおる」はそのまま部屋に残っています。人の信念はこのように不可解です。
もっとも、そんな信念よりも現実的な不可解さをもって、俺の製造したひみつ実験パスタはまゆみさんを苛んでいます。
しばらく食ったところで、まゆみさんの食事及び全行動が停止しました。
人間の真理は虚無である、と悟ってしまった人のような顔でまゆみさんは言いました。
「まだ半分ある……」
「すんっませんまゆみさんほんっっっっますんません!!」
「作ってもらっといて、こんなこと言うのもなんだけど……こんなもの食ったことない」
俺は、自分用に作った「卵とベーコンを加えてごちそうカルボナーラ」の卵抜きに、せめてコクを出そうとしてコンソメの素を投入した、これもまた270度くらいまちがった解決法を施したあげくなんにも解決してないどころか、事態をいっそうに悪化させたパスタを食いながら、まゆみさんに詫びるしかありませんでした。
空気読めないキリストとかいう人が「このなかに裏切りものがいる」と言ったらしい最後の晩餐くらいに気まずい空気のなか、黙々と二人はパスタを食べ続けました。
ついにまゆみさんは食べきりました。
いつもだったらこのあと、二人でのんびり一服、というところなのですが、まゆみさんは食器を片付けると、無言で立ち上がって自分の部屋へと向かいました。そして、ふと立ち止まりました。俺に背中を向けたままで言いました。
「まずいとは、言わない。しかし」
俺は正座して、まゆみさんの宣告が下されるのを待ちました。
そして、まゆみさんは言いました。
「もう、当分パスタというものを食いたくない」
がしゃーん。
目の前で牢獄の鍵がしまった囚人のように、俺はうなだれました。
ごめん。まゆみさん。本当にごめんなさい。俺は、俺はただ……いろいろ犯しまくった自分のミスをごまかすために、いろんなことをしてみただけで……俺は、俺は……。
うなだれる俺にまゆみさんは言いました。
「食えなかったわけじゃないんだ。まずくもなかった。でも、おいしくもなかった」
「まゆみさん、それはまずいって表現のなかでも最下層なんじゃ……」
「まずいものっていうのは、食えないもののことだ。だから、まずくなかった」
これはまちがいなくフォローではありません。
俺はますますがっくりとうなだれました。
「なんといっていいかわからない味だった。醤油クリーミーたらこ……いや、いっそえむけーつー味と名づけよう」
俺のオリジナルレシピが完成した瞬間です。
脳内を、絶望とともに、食前絶後という単語がよぎりました……。
そしていま俺は、懺悔の気持ちでいっぱいになりながらこの日記を書いています。
みなさん、俺の手作りパスタはいかがですか。どういうわけだか茹で加減だけはタイマーがなくても絶対にまちがわないスーパーアルデンテ殺人パスタ、ぜひご賞味ください……。
たまに、おいしいものができます。
今日はそんな、ロシアンルーレットな俺とまゆみさんの日常について報告いたしました。まゆみさん、本当にすんませんでした……。
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