まゆみさんは、アニメをけっこう見ます。
このあいだはエヴァンゲリオンについて聞いてみました。ちなみにこのアニメは、斬新な表現方法で、時代の病を的確に表現することしかできなかった稀有の傑作です。俺は好きです。
シンジというキャラクターが、その時代の、そしてそれからあとに続く若者たちのある種の典型であることはまちがいありませんが、まゆみさんにとっては別にそれはどうでもいいそうです。まゆみさんにとってエヴァとは「なんだかよくわからないけど、演出とかそういうのおもしろかった」程度のものであったらしく、同時に「これは話作れない人が作ってるな」とも思っていたそうです。
で、いちばん気になっていたのはネルフの資金がいったいどこから出ているのか、ということだそうです。
そこからだんだん話は逸れていきました。
まゆみさんは間の楔じゃねえや、えーとあの小説、タイトルなんていったっけ、ああミラージュですね。ミラージュが好きなのです。俺も途中までは読んでいるのですが、どうも主役級以外のキャラが扱いどうでもよすぎてそれ以上は続けて読めませんでした。まあ直江みたいな人間になってみたいとは思いますが。いいよね、変態。自分は楽しいもの。
で、女性でミラージュを読んでるとなると、やはりキャラ萌えで読むのが王道だと思われるわけです。基本好きな作品というのはやっぱ無批判で没入するところに醍醐味があると思うのですが、まゆみさんはここでも、最終決戦近辺の大きな組織の資金源がどこであるのか気になってしかたなかったそうです。
なんだか話がおかしいです。
聞いてみました。
まゆみさんは常に金の出所を気にしながらでないと、マンガ読んだりアニメ見たりできないのか。
解答。物心ついたころから、ずっと金の出所が気になっていたらしい。
俺は寡聞にして、サンタの実在を信じている子供に出会ったことがないのですが、世のなかにはおそらくそういう子供も存在しているんでしょう。しかしまゆみさんは、世の子供全員にプレゼントを配るのであれば、その資金源はどうなっているのか。不可能ではないのか。金を出すとしたらどこの機関が、なんのために、という観点から、サンタは実在しないという結論に至ったらしい。
いやな子供です。
金というのはリアリティの最たるものです。実際に商品が流通していて金がある以上、たとえフィクションの世界でも金のことは(明示されないまでも)、納得のいく設定が施されている必要があるとまゆみさんは考える。
金のことばっかりいってるとなんだか守銭奴っぽいですが、金に代表される作品世界のリアリティを重視するための結果だと思います。
じゃあファンタジー作品にたとえば「馬」が登場するとして、その馬ははたして俺らが知ってる馬と同じものなのか、という話になりました。
「それは、私たちが知ってるもので表現するなら、馬っていういきものに近いっていうことだと思ってた。そうじゃないとものすごく解説だらけの小説になるじゃん。だいたいそれを疑ったら、人間だって、こっちの人間と同じ構造してるかどうかわからない。だから、そういうもの、ってことなんじゃないの?」
つまりまゆみさんは、独力でファンタジーにおける設定の問題について、疑問を抱いていたということになります。まゆみさんは構成マニアですが、設定についても相当にやかましいようです。
そこから話が流れていって、ゲームの話になりました。
まゆみさんは、オンラインRPGが好きです。
まゆみさんによると、オンラインRPGこそが本来あるべきRPGの姿なのではないか、ということらしい。このへんは俺にまったく知識がなく受け売りなので、不正確なことを書いてる可能性もあります。そもそもRPGというジャンルには絶対に「他人」が必要というのがまゆみさんの持論。なぜなら箱庭であろうとなんだろうと、そこに「世界」が用意されている以上、プレーヤー一人だけというのはおかしいから。だから本質的にはMMOこそがありかたとしては「正しい」。あるいは、少なくともまゆみさんは興味が持てる。
まゆみさんは、リアルでもほとんど自分から交友関係というのを持たない人なのですが、それはオンラインでもそのまま貫かれています。自分から他人に話しかけることをほとんどしない。じゃあ、オンラインでなければいけない理由はなんなのか。
「動いてることが重要なんだよ」
と、まゆみさんは言います。
つまり、そこがひとつの「世界」である以上、自分が参加しなければ動かない、というのはRPGとしては本来の姿ではない。そこに世界が「常に」存在すること。それ自体が重要。
そして、リアルで他人に働きかけをしない以上、ゲームの世界でもそれはしない。それは許容されるべき。たとえ中の人が人間であっても、関係しない以上はそれはNPCと一緒。だってそういうものでしょう、リアルでも。会う人みんなに話しかけなければならないルールなんてない。
そんなわけで、まゆみさんは、MMOでもずっとソロです。
そしてそんなふうに考えるまゆみさんは、往年のUOが大好きだったわけです。
こう考えてみると、まゆみさんのフィクションに対する捉えかたの基本に「ゲーム」、特にRPGというものが根強く存在しているのがよくわかります。
基本的には作品世界をひとつの「箱庭」と考え、その内部で自立的に世界が動くことを要求しているようです。金のことをやたらに気にするのは、金というものの本質が「循環」であることをまゆみさんがよく知っていて、そうでない状況に違和感を覚えるから、ということじゃないだろうか。
というか、そういうようなことを、もっと口語的な表現でまゆみさんはまさに言ってたわけですが。
作品世界としてリアルに近いもの、リアルから遠いもの、まあいろいろあるわけですが、いずれにしてもそれが「ここではない世界」である以上、中途半端にリアルや「お約束」というようなものに依拠するような状態を、まゆみさんは「不徹底である」と考えるわけです。まゆみさんが現実離れした作品をさほどに好まないのは、実は現実からの距離が問題なのではなく、現実離れすればするほど「きちんとして」いなければならないのに、それができていないから「よくわからなくなる」というようなことなのではないだろうか。
俺はフィクション作品に対して完全没入タイプで、基本的に物語に対する批判というのはほとんどはたらきません。現実逃避するために「ここではない世界」を求めるタイプです。現実逃避というものを「意味がない」と一刀両断するまゆみさんの、フィクションに対する態度が、結果として現実逃避型の俺と近似値であるというのはおもしろいです。
こういう人にエロゲやらすと実におもしろい反応が見られるのですが、それはまたそのうち。まゆみさんのエロゲに対する「これどうしようもねーよ」という批判が、そのままエロゲ好きの人にとっては「ここが好きなんだ」という点と重なっているわけです。
なんだか今回、慣れないこと書いたせいか、まとまりがぜんぜんない。
コメント