リリカルとのお褒めの言葉をいただきましたMK2です。
褒め言葉だと信じてます。
趣味はギターを弾くことです。得意な曲は「禁じられた遊び」です。嘘です。ところで禁じられた遊びってだれの曲でしたっけ。フリオ・イグレシアス? チャック・ベリー? カフェ・シダモ? ニコール・キットマン? 思い出した名前(名前ですらないものすら混じってる)をてきとうに並べるだけで正解に辿りつくと思ったら大まちがいですよ。どうでもいいけどラテン系の名前すごいですね。フリオ・イグレシアスですよ。すごいじゃないですか。どう考えたってこいつ南仏に別荘とか持ってますよ。ブイヤベースとか食べてますよ。チーズフォンデュとか食いまくりですって! 俺の海外に対する理解はこの程度です。ところで「禁じられた遊び」ってだれだっけ。ちなみに禁じられた遊びって具体的にどういう遊びかっていうの、主に中学生男子だったころに話題になったことはないでしょうか。俺それ絶対シンナーだって!と力説して下ネタ仲間からハブられました。
ちなみにこのブログのテキストは毎回30分以内で書くことを目標にしています。内容が薄いのはそのせいです。俺が薄いわけじゃありません。いえ俺どちらかといえば濃いです。体毛とか! 嘘ですすみません嘘つきました。というようなてきとうなことばかり頻出するのも短い時間で書こうとしてるせいでその…… なぁ?
そんなわけで、今日もまゆみさんについて書くのです。
昨日のテキストは大笑いです。タバコを吸い始めた理由そもそもまちがってました。あれ。でもそんなこと聞いたっけ。まあ違ってたのは事実面だけで大筋は合ってたからいいよネ。
で今日はまゆみさんのなにについて書きますかね。
そうだな。まゆみさんと自転車について書きます。
もともとは俺が相当の自転車好きです。といってもガンプラも組み立てられない人間ですので、メカニズム的なことはさっぱりです。ビアンキのチェレステグリーンすごいかっこいいとかそれくらいです。というか緑色ならなんでも好きです。
結婚した当初、まゆみさんはよくわからないルックモデルのMTBもどきに乗っていました。ギアはいちばん重いところで固定されていました。いくらルックモデルとはいえ、それではせっかくのギアがかわいそうです。俺はギアを使うように進言したのですが、まゆみさんはそれを猛烈にいやがります。なんでやねんと思って自分が乗ったときにギアを変えてみたらチェーンが外れました。要するにぶっ壊れていたわけです。
しかしそのクソ重たい車重の自転車にクソ重たいギアでまゆみさんは実によく走るのです。およそ女性としてはありえない脚力。その当時俺は、スクーターで移動する毎日で、体がなまってるなんてやさしいものではなく、家から徒歩3分のコンビニに行くのにためしにママチャリを使ってみたところ、徒歩では体感できないくらいのわずかな上り坂がそのまま足に来てしまうという恐ろしいなまりっぷりでした。
しかし横浜の都心部なんかに住んでて、車もないとなると自転車は意外なくらいに便利な足なのです。まゆみさんが電車が嫌いであり(単純に酔うから)、自転車をメインの移動手段としている以上、俺も移動の手段を自転車に移行せざるを得なくなりました。
で、当時はまだ雇われ店長として働いていた俺がボーナス出たときに、自転車を買うことにしました。どうせ買うならまゆみさんのルック車はアレだったのでまゆみさんのも一緒に買うことにしたのです。
俺はその昔、Fujiのマウンテンバイクなんかが人気だったころには、当時まだ珍しかった(いまもあんまりメジャーなもんではないが)シクロクロスもどきに乗ってました。ミヤタはなんであんなにチャレンジャブルな自転車を出してたんだろう。売れなかっただろうなあ。
で、そんな俺がとりあえず選んだのがクロス車でした。予算5万程度で街中の移動がほとんどということを考えると、MTBはあんまり現実的な選択肢じゃないです。かといってタイヤの細い自転車は、ルックとはいえMTBもどきに乗っていたまゆみさんにとってはあんまり気分のいい乗り物には見えなかったようです。そんなわけで、ジャイアントのクロス車を二人して買いました。
この自転車には実によく乗りました。通勤で往復合わせて10キロほど、仕事が終わったあと、横浜駅周辺をうろついたり、ときには国道15号(1号は途中に坂あるからめんどくせえ)で東京まで遠出したり。俺の仕事が22時以前に終わることがほぼなかったので、行動はいつも深夜でした。生活時間帯としてありえねえということを除けば、深夜は自転車で走るのに実に快適な時間帯でした。俺はもともと深夜のビル街だとか都心が大好きだったので、この時期の記憶は実に気分のいいものとして残っています。ランドマーク付近なんぞ、地元民はよほどの用事でもなければわざわざ行く場所じゃありませんが、深夜なら、これほど快適な自転車コースはありません。整備された道。広い車道。そしてコンビニでてきとーに飲み物買って、ビルの正面入口の石段に座って一服。ビル風だけはマジ勘弁でしたが。
そして帰りがけにはファミレスに寄って茶をしてくるのです。
俺は、人間の時間は、たとえどんなに残り時間がわずかであろうとも、常に未来に向かって開いているべきだと考えます。いつか追憶だけを糧にして生きる日も来るかもしれませんが、少なくとも今日生きているように明日も生きられる可能性のほうが高い日々が続く限りは、その考えを捨てるつもりはありません。そんな俺には、単なる記憶というものはあっても、思い出というものはありません。もっともまゆみさんと出会って現実の時間が動き出すまでは、俺にはいかなる意味でもリアルな世界での思い出というものは存在しなかったんですけど。
そんな俺でも「この一瞬が、きっと将来の追憶になるのだな」と思うような瞬間というのはあります。その考えを俺は強いて頭のなかから追い払うようにしていますが、それでもその瞬間というのはやってくるのです。
自転車に乗って横浜市内(坂のある道を除く)や東京都内(坂のある道を除く)を徘徊し、深夜のコンビニで缶コーヒー買いつつ、タチの悪いガキのように店頭で一服したりしていた日々は、多分にそうした瞬間を多量に含有していたに違いありません。向かい風やわずかな上り坂で喘息を起こしそうになるのに平地では俺より確実に速いという手のつけられないまゆみさんとともに自転車で走った日々は、俺のなかで、そうした意味を持っています。
ちなみに、なんでそんなに過剰に、そのころのことが「思い出」になるかというと、現在住んでいる場所はどこに行くにも必ず長大な坂を越えていかなければならないので、自転車に乗るのがめんどくせえからです。つーかこの山坂どうにかしろ。平地に住みたい。関東平野とかいって地図緑色になってるのあれ嘘だから。半島バカにすんな畜生。緑色マジ嘘。
あと、その後、二代目の自転車を俺とまゆみさんは買いました。
まゆみさんは異常にマッチョなシルエットのMTBが好きで、スコットのすげえマッチョな自転車を買いました。俺はマリーンの街乗り仕様MTBです。しかし俺の自転車は、職場である店に車が突っ込んできた際に巻き添えを食らって死亡し、まゆみさんの自転車はごつごつのブロックタイヤからスリックにはきかえる途中の状態で家のなかで放置されています。
つかマジで平地に引っ越してえ……。
あとまゆみさんが自転車について書きました。
http://munimunigyafun.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/20061117.html
前に行ったときはなぜ平気だったんだろう。
若かったから? 死にたい。
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