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まゆみさんと「自転車「

リリカルとのお褒めの言葉をいただきましたMK2です。
褒め言葉だと信じてます。
趣味はギターを弾くことです。得意な曲は「禁じられた遊び」です。嘘です。ところで禁じられた遊びってだれの曲でしたっけ。フリオ・イグレシアス? チャック・ベリー? カフェ・シダモ? ニコール・キットマン? 思い出した名前(名前ですらないものすら混じってる)をてきとうに並べるだけで正解に辿りつくと思ったら大まちがいですよ。どうでもいいけどラテン系の名前すごいですね。フリオ・イグレシアスですよ。すごいじゃないですか。どう考えたってこいつ南仏に別荘とか持ってますよ。ブイヤベースとか食べてますよ。チーズフォンデュとか食いまくりですって! 俺の海外に対する理解はこの程度です。ところで「禁じられた遊び」ってだれだっけ。ちなみに禁じられた遊びって具体的にどういう遊びかっていうの、主に中学生男子だったころに話題になったことはないでしょうか。俺それ絶対シンナーだって!と力説して下ネタ仲間からハブられました。
ちなみにこのブログのテキストは毎回30分以内で書くことを目標にしています。内容が薄いのはそのせいです。俺が薄いわけじゃありません。いえ俺どちらかといえば濃いです。体毛とか! 嘘ですすみません嘘つきました。というようなてきとうなことばかり頻出するのも短い時間で書こうとしてるせいでその…… なぁ?

そんなわけで、今日もまゆみさんについて書くのです。
昨日のテキストは大笑いです。タバコを吸い始めた理由そもそもまちがってました。あれ。でもそんなこと聞いたっけ。まあ違ってたのは事実面だけで大筋は合ってたからいいよネ。
で今日はまゆみさんのなにについて書きますかね。
そうだな。まゆみさんと自転車について書きます。
もともとは俺が相当の自転車好きです。といってもガンプラも組み立てられない人間ですので、メカニズム的なことはさっぱりです。ビアンキのチェレステグリーンすごいかっこいいとかそれくらいです。というか緑色ならなんでも好きです。
結婚した当初、まゆみさんはよくわからないルックモデルのMTBもどきに乗っていました。ギアはいちばん重いところで固定されていました。いくらルックモデルとはいえ、それではせっかくのギアがかわいそうです。俺はギアを使うように進言したのですが、まゆみさんはそれを猛烈にいやがります。なんでやねんと思って自分が乗ったときにギアを変えてみたらチェーンが外れました。要するにぶっ壊れていたわけです。
しかしそのクソ重たい車重の自転車にクソ重たいギアでまゆみさんは実によく走るのです。およそ女性としてはありえない脚力。その当時俺は、スクーターで移動する毎日で、体がなまってるなんてやさしいものではなく、家から徒歩3分のコンビニに行くのにためしにママチャリを使ってみたところ、徒歩では体感できないくらいのわずかな上り坂がそのまま足に来てしまうという恐ろしいなまりっぷりでした。
しかし横浜の都心部なんかに住んでて、車もないとなると自転車は意外なくらいに便利な足なのです。まゆみさんが電車が嫌いであり(単純に酔うから)、自転車をメインの移動手段としている以上、俺も移動の手段を自転車に移行せざるを得なくなりました。
で、当時はまだ雇われ店長として働いていた俺がボーナス出たときに、自転車を買うことにしました。どうせ買うならまゆみさんのルック車はアレだったのでまゆみさんのも一緒に買うことにしたのです。
俺はその昔、Fujiのマウンテンバイクなんかが人気だったころには、当時まだ珍しかった(いまもあんまりメジャーなもんではないが)シクロクロスもどきに乗ってました。ミヤタはなんであんなにチャレンジャブルな自転車を出してたんだろう。売れなかっただろうなあ。
で、そんな俺がとりあえず選んだのがクロス車でした。予算5万程度で街中の移動がほとんどということを考えると、MTBはあんまり現実的な選択肢じゃないです。かといってタイヤの細い自転車は、ルックとはいえMTBもどきに乗っていたまゆみさんにとってはあんまり気分のいい乗り物には見えなかったようです。そんなわけで、ジャイアントのクロス車を二人して買いました。

この自転車には実によく乗りました。通勤で往復合わせて10キロほど、仕事が終わったあと、横浜駅周辺をうろついたり、ときには国道15号(1号は途中に坂あるからめんどくせえ)で東京まで遠出したり。俺の仕事が22時以前に終わることがほぼなかったので、行動はいつも深夜でした。生活時間帯としてありえねえということを除けば、深夜は自転車で走るのに実に快適な時間帯でした。俺はもともと深夜のビル街だとか都心が大好きだったので、この時期の記憶は実に気分のいいものとして残っています。ランドマーク付近なんぞ、地元民はよほどの用事でもなければわざわざ行く場所じゃありませんが、深夜なら、これほど快適な自転車コースはありません。整備された道。広い車道。そしてコンビニでてきとーに飲み物買って、ビルの正面入口の石段に座って一服。ビル風だけはマジ勘弁でしたが。
そして帰りがけにはファミレスに寄って茶をしてくるのです。

俺は、人間の時間は、たとえどんなに残り時間がわずかであろうとも、常に未来に向かって開いているべきだと考えます。いつか追憶だけを糧にして生きる日も来るかもしれませんが、少なくとも今日生きているように明日も生きられる可能性のほうが高い日々が続く限りは、その考えを捨てるつもりはありません。そんな俺には、単なる記憶というものはあっても、思い出というものはありません。もっともまゆみさんと出会って現実の時間が動き出すまでは、俺にはいかなる意味でもリアルな世界での思い出というものは存在しなかったんですけど。
そんな俺でも「この一瞬が、きっと将来の追憶になるのだな」と思うような瞬間というのはあります。その考えを俺は強いて頭のなかから追い払うようにしていますが、それでもその瞬間というのはやってくるのです。
自転車に乗って横浜市内(坂のある道を除く)や東京都内(坂のある道を除く)を徘徊し、深夜のコンビニで缶コーヒー買いつつ、タチの悪いガキのように店頭で一服したりしていた日々は、多分にそうした瞬間を多量に含有していたに違いありません。向かい風やわずかな上り坂で喘息を起こしそうになるのに平地では俺より確実に速いという手のつけられないまゆみさんとともに自転車で走った日々は、俺のなかで、そうした意味を持っています。

ちなみに、なんでそんなに過剰に、そのころのことが「思い出」になるかというと、現在住んでいる場所はどこに行くにも必ず長大な坂を越えていかなければならないので、自転車に乗るのがめんどくせえからです。つーかこの山坂どうにかしろ。平地に住みたい。関東平野とかいって地図緑色になってるのあれ嘘だから。半島バカにすんな畜生。緑色マジ嘘。
あと、その後、二代目の自転車を俺とまゆみさんは買いました。
まゆみさんは異常にマッチョなシルエットのMTBが好きで、スコットのすげえマッチョな自転車を買いました。俺はマリーンの街乗り仕様MTBです。しかし俺の自転車は、職場である店に車が突っ込んできた際に巻き添えを食らって死亡し、まゆみさんの自転車はごつごつのブロックタイヤからスリックにはきかえる途中の状態で家のなかで放置されています。
つかマジで平地に引っ越してえ……。

あとまゆみさんが自転車について書きました。

http://munimunigyafun.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/20061117.html

前に行ったときはなぜ平気だったんだろう。
若かったから? 死にたい。

2007/04/28 01:18 カテゴリー: MK2がなんか書いた | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

まゆみさんと「おやつ」

これがブログというものの恐ろしさなのか、ちょっと更新するとすぐに20人とかの単位の人が見てくれるので、ネタもないのに調子に乗って毎日更新するであります我輩! これから一人称は「我輩」で行こうと思うのであります! でもそんな頭の悪いことを言っていると離婚されるかもしれないので、このブログではできるだけ頭が悪いないフリをするであります我輩は! 我輩いいよね。東スポの風俗記事の記者になったみたいで! なんて頭の悪いことを書いてると離婚されるかもしれないので、あんまりそういうことは書かないようにしようと思います。ちなみに今日の文章は重い感じじゃなくどっちかっていうと頭悪いです。まゆみさんはバカ話においてすら論理の縛りを受ける厄介な人なのですが、俺はそんなことなくて正真正銘バカなので、安心してバカです。日本語も怪しくなってきちゃった☆ てゆうか話に筋が通ってて、展開も異常に速いバカ話ってついていくのものすごく大変なんですが。

まあそんなことはどうでもいいのです。
実はこのブログの隠れたテーマはまゆみさんの話相手探しであります。過去にも似たようなことをやって何度も失敗しているのですが、それというのも、まゆみさんはとにかく「会話」を通じてしかうまく考えを言葉にできない人なのです。文章を書くという習慣がないのです。リアルの会話では「ちょっと待った!」とかあと非言語コミュニケーションの部分で「相手が自分の言っていることを理解しているか」とかいうことがわかりやすいのです。ネット経由でお友だちを探すのに、そしてその関係を維持していくのに必須の技能であるチャットというものは、基本的にテキストベースのやりとりですから、まゆみさんは苦手としているのであります。ちなみに俺はチャット得意であります。なぜなら空気読めないから! すっごい迷惑!
まあそんなわけなので、このブログの文章は、すべてまゆみさんを紹介するために存在するといっても過言ではありません。とか書きながら実は俺はこの「過言ではありません」という言い回しが嫌いです。なんかいるじゃないですか。語尾に必ず「過言ではない」とか「的な可能性もまた存在しえないというわけではない」とか「慙愧の念に耐えないのである」とか、とにかく述部がバカみたいに長い人って。ごめんそれ俺! かようにいらないことをいっぱい書いて俺のテキストはどんどん長くなっていくのであります。

さて、まゆみさんはお菓子を買うのがものすごく好きであります。食べるのも嫌いではないのでしょうが、特に買うのが好きです。まゆみさんは浪費をしない、というか金使うことそのものに興味がないのではないかと思うくらい物欲が少ない人です。たぶん買うのがめんどくさいんだと思います。そのまゆみさんが、唯一浪費に近いことをしたがる対象がお菓子であります。ちなみに俺とまゆみさんはコンビニを経営しるんですが、今日、俺とまゆみさん専用のロッカーを整頓していたら、賞味期限の切れたお菓子がたくさん出てきました。まじ勘弁してください。死にそうです。
まゆみさんはお菓子を「買う」ことそのものが好きなのであって、食べるほうにはさほどの執着を示しません。ちなみに俺はお菓子というものは「いまここに存在するすべてを蕩尽しつくさねばならん!」と固く信じているので、賞味期限直前、ないし、はるかに経過し危険度キャリーオーバー!なお菓子は俺が処分することとなります。あれはもう食ってるというより「処分」という、まるで自分が焼却炉にでもなったかのような表現がいちばんしっくり来るのではないかと思います。いや、焼却してねえよな。体脂肪として蓄積していくんだから。
まゆみさん自身の説明によると「子供のころあんまりお菓子を買ってもらえなかったから、いま買ってる」ということらしいです。だとすると、子供のころのまゆみさんは、すでにしてお菓子にしか執着を抱いていなかったことになります。子供のころの夢をそのままたいせつに保存して大人になった、夢を忘れないまゆみさん、といえば聞こえはいいですが、大人気ねえだけという話もあります。でもまあ、お菓子を選ぶまゆみさんはわりと楽しそうなので、それでもいいかと思うのですが。なにより浪費としては非常に規模が小さいです。
しかし、駄菓子屋の前とかで「好きなだけお菓子を買っていいよ」などというと「じゃあ店ごと買う」とかゆってるので、そんなほのぼのオチでは済まされない可能性もけっこう高いです。「店ごと買う」と言ったときのまゆみさんの表情はなんつーか、かなりマジが混じってるような気がするのです。本気の成分がカケラもないとしたらあそこまで挑みかかるような目で駄菓子屋を見なくてもいいような気がするのです。でも「買う」ことの楽しみと「店ごと買う」というのは、なんか位相が違うんじゃないだろうか。選ぶ楽しみってのがそこにはないぞ。
ちなみにまゆみさんの好きなお菓子は、俺の把握してる限り、雪の宿とかです。せんべいの表面にざらめがついてるやつです。あとは……なんだっけ。忘れました。こう毎日のように「まゆみさんと○○」というタイトルで文章書いてると、俺はまるでまゆみさんを観察し続ける偏執狂のようなのですが、好きなお菓子の傾向も実は把握してなかったりします。何度も把握しようとするのですが、そのたびごとに忘れるのです。少なくともクリームコロンは嫌いらしいです(この段落まるごとものすごく意味のないこと書いてるような気がする)。
あとまゆみさんはバナナが嫌いです(まだ続けるのか。単なる好き嫌いの話で)。まあ単純に食べ物として嫌いなのでしょうが、本人に言わすと「バナナはおやつに入りますか、だよ? そんな中途半端なポジションにある食い物ってどうなのよ」ということらしいです。バナナもそんな部分で嫌われてはたまったものではないし、その疑問の根底には日本の遠足制度に対する批判を含んでいるので、まず日本の遠足のありかた、なかんずく「おやつ」というもののありかたに対する厳正な態度が希求されるべきであると考えます。あー、だから嫌いなのか。おやつフリークのまゆみさんとしては「入りますか?」みたいなだらしない半疑問系でそのその存在を括られているような食べ物の存在は、許せないわけだな。おやつの国から来た人としては。でもそうすると酒のつまみの存在とかどうなんだろう。イカフライとかかなり微妙なラインじゃないだろうか。でも小学生が「イカフライはおやつに入りますか?」って聞く光景はけっこういやかもしれない。「乾燥したホタテの貝柱はおやつに入りますか?」 どういう小学生だ。でもそれはそれでキャラ立ってるよね。お父さんの晩酌に毎晩つきあっちゃう小学生。学校じゃいい子なのに! 家に帰ると「えー、だってスーパードライよりエビスだよお父さんぜんっぜんわかってないよね!」とか言ってる小学生。「でもうち貧乏だから、極生でもいいよ」 理解あんなあこいつ。

というわけで、本日の結論。
まゆみさんはおやつの国からやってきました。
なんだよそのどうでもいいおとぎ話みたいな結論は。意味わかんねえ。

2007/04/27 15:09 カテゴリー: MK2がなんか書いた | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

まゆみさんと「天才」

まず定義からしておきます。
ある能力において、常人が努力ではなかなか到達できない場所に最初からいる人、あるいは能力を「天才」と呼ぶことにします。そうしたものを持っていない人を「凡人」と呼ぶことにします。ちなみにこの用語にはいっさいの価値観が含まれていません。天才というのは別にいいもんじゃありません。たぶん。俺は凡人だからわかりませんが。かといって凡人であること、平凡な日常にこそ幸福があるんだなんてことさらに言い立てるつもりもありません。「天才」「凡人」そのいずれもが、単なる人間の状態の描写だと思ってください。この場合の「天才」は、だから、通常の意味での「天才」よりはだいぶ意味合いが軽くなります。百人とか数百人に一人はいる可能性がある程度の天才です。もっとも俺は、人間だれしもが、ある特定の狭い範囲においては天才でありうる可能性を信じていますが。

さて。この定義でいうと、まゆみさんは紛れもない「天才」ということになります。
天才と凡人の違いというのはどこにあるのか。
天才についてよく言われる言葉として、たとえば「天才は孤独である」というのや「子供はみんな天才である」というのがあります。そのいずれもが正しいと俺は思います。
遺伝的な資質というのは、もって生まれた頭脳のスペックのことでしかないと思う。絵画や音楽の世界には常軌を逸した天才というのもいるようですが、あれはどちらかというと大脳生理学とかの課題に近いんじゃないかと俺は漠然と思っています。
もともとのスペックの厳然たる違いというものはあるものの、その後凡人となるか天才となるかは、ひとえに「可能性」というものを否定するかどうかにかかっているんじゃないでしょうか。子供はみんな天才である、というのはその意味においてです。
まゆみさんは論理でしか物事をとらえません。おそろしく乾いた世界です。論理というのはそれ単体では現実とは無関係なのものなので、ある原因に対して無数の可能性が存在します。まゆみさんは「現実」というものは「起こりえた無数の可能性のひとつ」としてしか把握しません。逆にいえば、まゆみさんの頭のスペックの追いつく限界まで、すでにあらゆる可能性は想定されていることになります。現実を支配するルールと照合して考えた場合、可能性は制限されるわけですが、まゆみさんは「現実を支配するルール」もまた論理的に把握しているため、その両者の照合は容易です。かくして現実という場所は、まゆみさんにとっては「起こりうることがふつうに起こっているだけの退屈な場所」となります。
じゃあ頭のスペックを活用するためになにかすればいいのに、という話になるんですが、まゆみさんはどういうわけか、かなり子供のころから「自分は何者にもならない」と固く決めてしまったようなのです。これについてはなんでそんなこと思ってしまったんだか俺にもわかりません。おそらく「不自由な」大人たちを見て「自分は自由でいよう」というようなことだったんだと思うんですけど。まああれですね。大人になんてなりたくない。大人は汚い。そう思ったから、そういう大人にはなりたくない。それを愚直に実行してきたわけです。
「何者」には、たとえば各種の専門家なども入ります。役職家族での立場その他、人間が必然的に背負わなければならないほとんどすべてのことが入ります。そしてまゆみさんはそれらのすべてになりたくはなかった。ただ、一人で生きていくという前提がある以上、せめて高卒の資格くらいはないと生きづらいらしい。だから高卒の資格だけは持っています。そしてそう思った以上「勉強に関して、高卒の資格を取得できる以上の学力は必要ない」と判断しました。それで「私は勉強ができないから頭が悪い」とはおめでたいとしか言うほかないですが。
こうしてまゆみさんは思考能力だけが高く、勉強はできない、という変わったポジションに立つことになりました。

まゆみさんはつい昨日まで、自分が天才であるという事実を認めてはいませんでした。
それは「もし自分が天才でなければ、自分と同じレベルでものごとを考え、共感してくれる人はいるはずだ」からです。もし自分が天才であれば、その可能性は極度に低くなります。つまりこの世界において、原理的にはまゆみさんは孤独であるということになります。だからまゆみさんは、自分が天才であるという事実を認めませんでした。
どういう方向にも特化されず、ただ野ざらしに存在していたまゆみさんの知能は、ただただものごとを論理的に把握し、本質にものすごい速度で到達する、ということにしか生かされていません。本質に到達したら、あとはそのとおりに行動する意志を持っていればいい。
自分を天才だと思っていなかった、つまり周囲の人間と別に変わらないのだと思っていなかったまゆみさんにとっては、周囲の人々が悩んでいる姿がどうしても理解できない。「わかりきったことなのにどうして実行しないのだろう」と。そこから導き出されたまちがった結論は「それらの人々が怠慢だから」というものでした。
たとえば仕事ひとつとってもそうです。俺らの仕事はコンビニの経営です。コンビニというのは小売業です。つまり商品を売っています。そしてそれらはだいたいにおいて日常生活に必要なもので、しかもわりと緊急度の高いものが多いです。よって客は「なにかを欲しい」と思って来店するのであって、それらの人々がわかりやすく買いやすい売場を維持することが商売の本質となります。そのために商品の陳列順はだれにでもわかるかたちでの法則性を維持していなければならず、また全商品がすっきり目に入るように、棚の間隔は可能な限り調整され、商品のいちばん目立つ部分がすべて客の目に均等に飛び込むように陳列するのが基本となります。客の目線と店内における動線を計算したうえで商品というのは陳列されなければならないわけです。その陳列のしかたというのも長年かけていろんな人が工夫した結果として、ある程度は方法論が確立しています。下段に近づくほど生活必需品、目的買いの要素が強い商品。上段に行くほど衝動買いの要素が強い商品。
というようなことを、最低3ヶ月はかけて綿密に説明していくわけです。個々の商品特性とともに。
しかしまゆみさんにとっては「コンビニで商品を売る→そういう売場を作る」だけの理屈になります。つまり、コンビニというものの性質は前提としてすでに(ふだんの生活のなかで)理解していて当然。そしてそういう店で商品を売るのである以上、どういう陳列をしなければならないのかも、あらかじめ理解していて当然、というわけです。理屈で考えればだれでもわかるはずのこと。だから、そのあたりの説明はすべてまゆみさんにとっては不要となります。考えればわかること、になっています。自分がわかる以上、たとえばいまレジにいる客でも、店員になれば同じことができるはず、と考えます。
実際うちの売場は、コンビニ関係者の内部で非常に評価が高いんですが、基本的にはまゆみさんがそのほとんどを一人で作っています。そしてまゆみさんは、そういう棚を作るのは「だれにでもできること」だと思っていました。
まゆみさんの場合、たまたまやっている仕事がコンビニであったからこういう結果になってますが、たとえなんの職業をやっても結果は一緒だったでしょう。というか日常生活全般において、常に同じようなことをやらかしてます。
このことは、逆にいえば「その結果に到達できない人が、なぜ到達できないのか理解できない」ということになります。

そして30歳にもなって、昨日、ついに「自分はほかの人とは違うらしい」ということを理解したようです。
まゆみさんにとっては、ほぼすべての話相手が「退屈」と感じられます。わかりきったこと、理屈でいえばまちがったことしか言わないからです。そして自分の考えを伝達するためには、相手の理解に応じた説明のしかたをするしかないのですが、まゆみさんには「どこからがふつうの人にとって難しいのか」がわかりません。人間は論理よりもより多くを情緒に負っています。情緒というのはいいかえれば「なんとなく」ということでもあります。しかしまゆみさんには「なんとなく」がわかりません。まゆみさんにとっては「明解に説明できるに決まっている」ことで「なんとなく」を持ち出されても困るわけです。

このようにして、まゆみさんは「理解させる」ことができないことによって「理解される」ことができません。最初からその苦労もなく同じ程度の速度で会話ができる人を切実に求めているようです。しかし一般的にまゆみさんのような思考能力を持ってる人は高学歴であることが多く、コンビニで仕事してる人のなかにはあまりいません。そしてなにより不自由なことには、まゆみさんはただ頭がいいだけで、自分の天才を活用するための、いかなる表現方法も持っていません。
かくしてまゆみさんは、慢性的にストレス状態です。

まあ、なんというか、不自由な人です。だれよりも自由であるために、かえって不自由であるという意味わからない状態です。
一人か二人ばかりいたんですけどね。まゆみさんの話相手として絶好な人が。でもその人、遠くに住んでるしなあ……。

2007/04/27 15:09 カテゴリー: MK2がなんか書いた | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

まゆみさんと「こぽりん」

ぽりんというのはぬいぐるみです。
ラグナロクオンラインというエロゲ、じゃねえや、ゲームと名がつけばなんでもエロゲだと思うのは悪い癖だからやめたほうがいいかもしれません。とにかくそういうオンラインゲームがあってですね、まゆみさんはずいぶんと長いことそのゲームをやっています。それのやられザコキャラがポリンというのです。このゲームには、モンスターをペットにできるシステムがあって、まゆみさんはゲーム歴と同じくらいの期間、ポリンをペットとして連れ歩いているわけです。全部でキャラが何人いるのかは知りませんが、すべてのキャラがポリンを連れているはずです。
ポリンがいたくお気に入りのまゆみさんとしては、ぬいぐるみが販売されているとなれば欲しくなるのは当然の流れ、ということで、まずは中くらいの手ごろなサイズのぬいぐるみを通販で買いました。それでもおさまらないまゆみさんの物欲は、ついに最大サイズのポリンをも手に入れる結果を招いたのです。
こうして我が家には、二体のポリンが揃うことになりました。
まゆみさんは、ぬいぐるみのポリンを「こぽりん」と呼んでいます。「こ」がなにを意味するのか俺は詳しくは知らないのですが、大きいのと小さいのがある以上、甲状腺癌ポリンとかの略ではなく「小さい」ポリンなのでしょう。

さて、そのこぽりんなのですが、まゆみさんによると、しゃべるそうです。
こんなことを言ったからといって、別にまゆみさんが「だってマバンヤ様が私に命令するから!」とかだれにも見えない守護霊を引き合いに出して周囲を困惑させるような人だというわけではありません。「今日は雨だから電波は低いところを這ってるかな?」とか言うこともありません。それはどっちかっていうと俺です。
ちなみに某女流SF作家に憧れすぎて、聞こえない声が聞こえるようになってしまったのでもないようです。まゆみさんはほぼSFを読みませんから。
常識を相対化できている時点で、まったくの常識人というわけにはいかないのですが、世間的にみて問題のある人でもありません。

しかし、こぽりんはしゃべるのだそうです。
家にいてヒマでやることのないときなど、よくこぽりんと会話をしているそうです。
その内容は「最近どうよ」「リンピが食べたい」「どんなリンピが」「リンピといえばあれですよ。赤くておいしくてぼくの大好きなものに決まってますよ」とかいうレベルのどうでもいいものらしいです。
俺にはぬいぐるみの声は聞こえません。
別に聞きたいとも思いません。
しかし、長年、まゆみさんがこぽりんの言葉を通訳してくれているうちに、俺までその存在に対して違和感を抱かないようになりました。ああ、まゆみさんがいると言ってるし、現にまゆみさんが伝えるところのこぽりんの言葉はいうのは、まゆみさんとはまったく別のキャラといってもいいです。だから、いるんでしょう。

まゆみさんの脳内でどういう処理が行われてこぽりんというキャラが誕生したのかは知りません。が、実際問題として、まゆみさんにはいくつかのキーワードを放り込んでやると、自動的にキャラクターを生成するというワケのわからない、あるいは非常に便利な機能が実装されています。なんでもいいんです。「鼻毛、サングラス、歩くの速い、泣き虫」とか放り込んでやれば、次の瞬間にはまゆみさんのなかで人間(じゃないものかもしれませんが)が出来上がっている。この異能というのは、見せられるたびに「なんなんだろうこれ」と思うことしきりです。

そんなわけで、こぽりんはしゃべります。
もともとこぽりんは俺のペットだったのですが、俺があまりに放置プレイをしているうちにまゆみさんに懐いてしまったようです。いちおー形式上俺のことは「ご主人様」と呼んでますが、その評価と来た日には「ご主人さまはハゲだしおなか出てるし足くさいし最悪ですね」程度のものです。
俺としてはそんなものをほっとくわけにはいかないので、もともと球形がブッ潰れたみたいな形してる物体であるところのこぽりんの上に座って、完全に座布団状にしてしまう機会を狙っているわけです。

2007/04/27 15:07 カテゴリー: MK2がなんか書いた | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

ちびすけちゃんの日本語教育

今日の日記は、言葉を覚えさせるために変な日本語で書いてみようと思います。

今日は、昨日からの持ち越しの仕事が雲霞の如く山積しており拙者、疲労困憊ばたんきゅー、そうでなくても一人の夜勤は荒野のなかに立ち尽くすうさぎのように、寄る辺ない心もちで、森の下草のような気分でいるというのに、給料日直後、ゴールデンウィーク直前ということもあって、千客万来商売繁盛超力招来、笹持ってこいってな感じでありまして、その疲れを持ち越したまま、朝からようやく昨日の持ち越しの仕事にかかれたというわけであります。
最初は疲労のためのろのろぎゅるぎゅる仕事をしていたのですが、だんだん集中してくるにしたがって、とんでも八分歩いて五分、羅刹の如き形相で鬼仕事の片づけをする悪鬼の我輩。しまいには意識は亜光速で歴史のなかを縦横無尽に旅し、精神だけの存在となって宇宙の深淵を巡る深い深いサイコダイブツアー。最後は自由の女神があってがっくりです。
そうやってなんとか仕事をかたづけたあと、バーミヤンでごはんを食べることにしました。まことに人間というのは口から食べて肛門から排出する生物であります。まさに円環。これをしてA感覚とO感覚と称するのであり、人間の生命の基盤はそんなあたりにさりげなく存在しまくり☆ これをもってして至高とするのであり、V感覚というのは皮相でありなんとかかんとかって、それつまりおまえショタ。どう言い訳してもショタ。悪くするとホモ。別に悪くないのか。こういうことで差別的な感覚をもって書いちゃだめってばっちゃが言ってた。別に人間はホモでもいいと思うのです。でもやっぱり謎嗜好だと思いました。
あとはタウンワークに求人出してるんですけど、そこに送る写真を俺の素敵超感覚限界領域的ありえないフォルダからグリーンランドに向けて射出。ずっきゅぅぅぅぅん。俺のメールは核弾頭。言葉の核分裂で僕の地球を大破壊。でもあっというまに融合して二次災害。グリーンランドに向かう途中のねりまどーるで大爆発。ところで中山☆香先生の仕事場はカーペットが二重になっていて、1枚目と2枚目のあいだで禁断の生命が発生しているという噂は本当なんでしょうか。
そんなわけで、おうちに帰ってきてぬかづけちゃんにごはんをあげました。終わり。

2007/04/27 14:17 カテゴリー: MK2がなんか書いた | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

まゆみさんと「タバコ」

ものすごいいい加減にアクセス伸びるなここ。
昨日一日でページビュー122。
個人サイトやってたころ、300まで到達するのにいったいどれだけかかったことか。なんか、ブログってそういうものなんですか? だとしたら炎上なんて現象もわからないではないですけど。それともどこかに晒されてるんでしょうか。俺は基本的に晒されやすくて天然燃料なテキスト書きがちな人なので、特にそのへんは危惧します。まあ実際は「まゆみさん」という個人名が入ってるので、なんか写真あるブログなのかなあと思って来る人がほとんどだと思うのですが。
文章系の個人サイトなんかだと「いかにして常連さんをつかむか」がアクセスを伸ばすための基本なのですが、ブログだとそのへんは事情が違うみたいですね。まあ、最終的には常連さんつかんでナンボなんでしょうが、その過程は、トラバ飛ばして人集めて、ってことなんでしょうねえ。俺にはよくわからんですが。

などと前置きしたところで、今日もまゆみさんについて書くのです。なにしろ一緒に生活してるわけですから、ネタはいくらでもあります。というかなんか勘違いしてる人がいるとあれなので先に言っておきますと、そのうちなんか画像貼られて見る人みんな楽しいとかそういうブログではないですから。基本はあくまで MK2という人が奥さんのまゆみさんについて、ただただ長々と文章を書くだけのブログです。それ以上でもそれ以下でもないです。
さて、まゆみさんはタバコを吸います。
吸っているタバコはマルボロです。ちなみにボックスです。ソフトはまずいそうです。
マルボロになる前は、俺の記憶している限り、いまは日本では取り扱いのないラッキーストライクのウルトラライトでした。その前は知りません。
まゆみさんは喘息持ちなのですが、それでもタバコを吸います。喘息持ちというより、要するにアレルギー体質なのです。アレルギー体質というものについて、健康な人はあまり明確なイメージを持てないかもしれません。アレルギー体質というのは、つまり、健康な人(とりあえずはそう言っておきます。ほかの用語が思いつかない)にとってはどうってことない、人間の生活環境に存在している物質に対してでも、過敏に反応してしまう可能性が高い人のことをいいます。ですから、花粉症も一種のアレルギー体質です。要するに原因となる物質があって、それに反応して肉体にあまり快からぬ反応が出てしまう、その反応そのもののことをアレルギー反応というのであり、それを持っている人はみなアレルギー体質です。ということで、人間たぶん、多かれ少なくかれすべての人間はアレルギー体質だと思います。
まゆみさんは、それはもうアレルギーの博覧会というくらいに多種多様なアレルギーを持っていますが、自分のことを「病弱」とはいいません。実際まゆみさんは、もしアレルギー反応がなければ、おそらくは相当に頑健な肉体の持ち主だと思いますが、そういうことではなくて、結局アレルギーは体質だということです。程度の違いだけである、と。アトピーもアレルギーの一種に入るわけですが、アトピーにまつわる過剰な言説全般をまゆみさんはあまり好みません。体質ひとつでなにを大騒ぎせねばならんのか、ということです。
ちなみにまゆみさんは持久力は笑えるくらいありません。これはたぶん喘息云々とはまったく無関係です。筋肉の質にしてもそうでしょうし(それについては以前言われたことがあるそうです。持久筋はそんなに発達していない、いわば疲れやすい質の悪い筋肉であると)、おそらく根性の問題でもそうだと思います。まゆみさん自身も「私は根性がない」とよく言っています。もっとも頭の回転の速い人で根性ある人ってあんまり見かけませんが。根性出す前に片付けるのがいちばん楽なやりかたで、回転の速い人は基本的にそうしますから。
で、話は逸れましたが、要するにまゆみさんはアレルギー体質であり、それがために喘息の傾向があり、であるにもかかわらずタバコを吸うのです。
まゆみさんから聞くまで知らなかったのですが、喘息にタバコが悪いのは確かなのですが、その「悪さ」の度合は、意外にもホコリや動物の毛などとくらべるとはるかにマシだそーです。まゆみさんがタバコを吸うようになったきっかけも「喘息だから吸えないだろうなあ」と思ってためしに吸ってみたら吸えてしまった、というものだそうで、おそらくは本人にも意外だったんでしょう。なんでそんなチャレンジしなきゃならなかったのかは本人のみぞ知る、ですが。あんがい「なんとなく」とかそんな理由であるような気もします。

そろそろタバコやめる時期が来ている、ということはまゆみさんも薄々思っているようです。やめられないのは、ニコチン中毒云々の問題もあるでしょうが、それ以上にタバコを吸うことが好きだから、というのがいちばん大きな理由なのでしょう。イギリスだかどこだか忘れましたが、けっこう成功率の高い禁煙法として「要するにタバコをやめられない人は、タバコをやめたくないのだ」として「タバコをやめたあとは素晴らしい世界が待っているのだ」という意識改革をするってのがあったような気がします。うろ覚えですが。まあ、たぶんそういうことなのです。つまりまゆみさんは、タバコをやめる気がないのです。いまのところは。

まゆみさんがタバコをやめる日は、ある日とつぜん「やめた」と宣言するのでしょう。そして、それっきり吸わなくなるんでしょう。そういう人です。そしてまゆみさんがやめたら、俺もタバコをやめるんだと思います。なにしろ俺がタバコを吸い始めた理由は「まゆみさんと茶をするにあたり、喫煙席にいてタバコ吸わないのバカみたいだから」という理由そのものがバカっぽい理由だからです。
でもまあ、いまのところは、二人ともタバコを吸うことが好きなので、吸ってます。
そんな感じです。

まゆみさんにもタバコについての文章を書いてもらいました。

http://munimunigyafun.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/20061116.html

しかしこの人、ろくに文章書いたことないくせに、俺よりうまいのな。
勘弁してください。

2007/04/27 14:10 カテゴリー: MK2がなんか書いた | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

まゆみさんと「ゲーム」

まゆみさんは、アニメをけっこう見ます。
このあいだはエヴァンゲリオンについて聞いてみました。ちなみにこのアニメは、斬新な表現方法で、時代の病を的確に表現することしかできなかった稀有の傑作です。俺は好きです。

シンジというキャラクターが、その時代の、そしてそれからあとに続く若者たちのある種の典型であることはまちがいありませんが、まゆみさんにとっては別にそれはどうでもいいそうです。まゆみさんにとってエヴァとは「なんだかよくわからないけど、演出とかそういうのおもしろかった」程度のものであったらしく、同時に「これは話作れない人が作ってるな」とも思っていたそうです。
で、いちばん気になっていたのはネルフの資金がいったいどこから出ているのか、ということだそうです。
そこからだんだん話は逸れていきました。

まゆみさんは間の楔じゃねえや、えーとあの小説、タイトルなんていったっけ、ああミラージュですね。ミラージュが好きなのです。俺も途中までは読んでいるのですが、どうも主役級以外のキャラが扱いどうでもよすぎてそれ以上は続けて読めませんでした。まあ直江みたいな人間になってみたいとは思いますが。いいよね、変態。自分は楽しいもの。
で、女性でミラージュを読んでるとなると、やはりキャラ萌えで読むのが王道だと思われるわけです。基本好きな作品というのはやっぱ無批判で没入するところに醍醐味があると思うのですが、まゆみさんはここでも、最終決戦近辺の大きな組織の資金源がどこであるのか気になってしかたなかったそうです。
なんだか話がおかしいです。
聞いてみました。
まゆみさんは常に金の出所を気にしながらでないと、マンガ読んだりアニメ見たりできないのか。

解答。物心ついたころから、ずっと金の出所が気になっていたらしい。

俺は寡聞にして、サンタの実在を信じている子供に出会ったことがないのですが、世のなかにはおそらくそういう子供も存在しているんでしょう。しかしまゆみさんは、世の子供全員にプレゼントを配るのであれば、その資金源はどうなっているのか。不可能ではないのか。金を出すとしたらどこの機関が、なんのために、という観点から、サンタは実在しないという結論に至ったらしい。
いやな子供です。

金というのはリアリティの最たるものです。実際に商品が流通していて金がある以上、たとえフィクションの世界でも金のことは(明示されないまでも)、納得のいく設定が施されている必要があるとまゆみさんは考える。
金のことばっかりいってるとなんだか守銭奴っぽいですが、金に代表される作品世界のリアリティを重視するための結果だと思います。
じゃあファンタジー作品にたとえば「馬」が登場するとして、その馬ははたして俺らが知ってる馬と同じものなのか、という話になりました。

「それは、私たちが知ってるもので表現するなら、馬っていういきものに近いっていうことだと思ってた。そうじゃないとものすごく解説だらけの小説になるじゃん。だいたいそれを疑ったら、人間だって、こっちの人間と同じ構造してるかどうかわからない。だから、そういうもの、ってことなんじゃないの?」

つまりまゆみさんは、独力でファンタジーにおける設定の問題について、疑問を抱いていたということになります。まゆみさんは構成マニアですが、設定についても相当にやかましいようです。

そこから話が流れていって、ゲームの話になりました。
まゆみさんは、オンラインRPGが好きです。
まゆみさんによると、オンラインRPGこそが本来あるべきRPGの姿なのではないか、ということらしい。このへんは俺にまったく知識がなく受け売りなので、不正確なことを書いてる可能性もあります。そもそもRPGというジャンルには絶対に「他人」が必要というのがまゆみさんの持論。なぜなら箱庭であろうとなんだろうと、そこに「世界」が用意されている以上、プレーヤー一人だけというのはおかしいから。だから本質的にはMMOこそがありかたとしては「正しい」。あるいは、少なくともまゆみさんは興味が持てる。
まゆみさんは、リアルでもほとんど自分から交友関係というのを持たない人なのですが、それはオンラインでもそのまま貫かれています。自分から他人に話しかけることをほとんどしない。じゃあ、オンラインでなければいけない理由はなんなのか。
「動いてることが重要なんだよ」
と、まゆみさんは言います。
つまり、そこがひとつの「世界」である以上、自分が参加しなければ動かない、というのはRPGとしては本来の姿ではない。そこに世界が「常に」存在すること。それ自体が重要。
そして、リアルで他人に働きかけをしない以上、ゲームの世界でもそれはしない。それは許容されるべき。たとえ中の人が人間であっても、関係しない以上はそれはNPCと一緒。だってそういうものでしょう、リアルでも。会う人みんなに話しかけなければならないルールなんてない。
そんなわけで、まゆみさんは、MMOでもずっとソロです。
そしてそんなふうに考えるまゆみさんは、往年のUOが大好きだったわけです。

こう考えてみると、まゆみさんのフィクションに対する捉えかたの基本に「ゲーム」、特にRPGというものが根強く存在しているのがよくわかります。
基本的には作品世界をひとつの「箱庭」と考え、その内部で自立的に世界が動くことを要求しているようです。金のことをやたらに気にするのは、金というものの本質が「循環」であることをまゆみさんがよく知っていて、そうでない状況に違和感を覚えるから、ということじゃないだろうか。
というか、そういうようなことを、もっと口語的な表現でまゆみさんはまさに言ってたわけですが。
作品世界としてリアルに近いもの、リアルから遠いもの、まあいろいろあるわけですが、いずれにしてもそれが「ここではない世界」である以上、中途半端にリアルや「お約束」というようなものに依拠するような状態を、まゆみさんは「不徹底である」と考えるわけです。まゆみさんが現実離れした作品をさほどに好まないのは、実は現実からの距離が問題なのではなく、現実離れすればするほど「きちんとして」いなければならないのに、それができていないから「よくわからなくなる」というようなことなのではないだろうか。

俺はフィクション作品に対して完全没入タイプで、基本的に物語に対する批判というのはほとんどはたらきません。現実逃避するために「ここではない世界」を求めるタイプです。現実逃避というものを「意味がない」と一刀両断するまゆみさんの、フィクションに対する態度が、結果として現実逃避型の俺と近似値であるというのはおもしろいです。
こういう人にエロゲやらすと実におもしろい反応が見られるのですが、それはまたそのうち。まゆみさんのエロゲに対する「これどうしようもねーよ」という批判が、そのままエロゲ好きの人にとっては「ここが好きなんだ」という点と重なっているわけです。

なんだか今回、慣れないこと書いたせいか、まとまりがぜんぜんない。

2007/04/27 14:08 カテゴリー: MK2がなんか書いた | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

まゆみさんと足元

俺は基本的にいつも掃除が行き届いてる家庭で育ちました。というか親がちょっと病的な人で、床になにかが置いてある状態を許さないのです。
まゆみさんは、いつもなんとなく散らかっている家庭で育ったようです。

さて。そのせいなのかどうか知りませんが、俺には家のなかで「足元を確認してから歩く」という習慣がありません。したがって、よほど大きいものならともかく、小さいものがあっても気がつかなくてよく踏みます。
まゆみさんは「物があってあたりまえ」と思っているので、床に物を置くことに躊躇がありません。
ここで、生活習慣における深刻な衝突が発生します。
つまり、まゆみさんが床に置いたものを俺が蹴飛ばすのです。
このあいだは、煮物かなんかの惣菜のうち、しいたけだけよけて置いてあったものを俺が蹴飛ばし、床一面にしいたけが散乱するという悲劇が発生しました。ちなみにまゆみさんにとってきのこ類はすべて敵性物質です。もともと過度のアレルギー持ちで、菌類、発酵食品はすべてだめらしいんですが、それにも増して、きのことかの裏側が許せないそうです。気持ち悪くてたまらないそうで、そんなものを口に入れること自体に拒絶反応があるみたいです。この話を聞くたびに、俺は、祖母の「うなぎの現物を見て以来、うなぎまったく食えなくなった」という話を思い出します。でもアナゴとかは食べるんだよ。意味わかんない。
俺にとってまゆみさんの部屋は危険地帯です。まゆみさんにとってたいせつなもの、踏んではいけないものが一帯に散らばっています。足の踏み場は確保されてるんですが、俺はバランス感覚が尋常じゃなく悪いので、その踏み場を選んで歩いているうちによろけるのです。そしてあらぬ方向に足を踏み出して二次災害を引き起こします。

よく物にぶつかってあるく人っているんですが、あれって基本的に生活習慣の問題なんじゃないでしょうか。まゆみさんみたいに「これから進む方向にあるドアの間隔を目測して、ぶつからなければそのまま通る」みたいに極端な例は稀としても、のびのび振舞っても平気なブルジョアジーな環境で育った人って、家のなかで進む方向を確認しないで移動を始めるんじゃないかと。俺は狭い家で育ちましたが、上述のように、いつも完璧にかたづいていたため、確認する必要がなかったのです。
まあ、どういう言い訳をしてもですね、結局しいたけをばらまいたという罪は消えないんですが。つーかこの件に関してだけは俺にも主張はあるぞ。
まさか床に食べ残しというか、分別されたしいたけが置いてあるなんてだれも思わないだろう……。かなり非日常的な光景だったよ……。

2007/04/26 10:14 カテゴリー: MK2がなんか書いた | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

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