「しばらく更新をさぼっていたら」という定型句をそろそろ辞書登録したほうがいいんじゃないかと思うえむけーつーですこんにちわ。今日は日曜日ということで店も大繁盛。俺は仕事をさぼってテキストを書いています。
ここのところはなにをしていたかというと、家での余暇はほとんどまゆみさんとゲームをやって遊んでいました。ゲームのタイトルは「恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを思うと以下略」嘘です嘘ですすっげえ嘘! カラオケじゃもってけセーラー服を絶叫であります。てゆうかカラオケなんかここ数年行ってないです。あと事務所に蚊がいるまじうぜえ。そして俺はどうしてこういう綱渡りみたいなネタを一生懸命に書いているのでありましょうか。
ちなみにまゆみさんは、自分ひとりで家にいるときは、ほとんどの時間をFF12に費やしているようであります。おもしろいらしいけど主人公がぜんぜん主人公としての機能を果たしていないらしいです。
昨日はひさしぶりに横浜に行って参りました。横浜くんだりまで出かけてなにをやっていたかというと、伊勢崎モールにある安楽亭で焼肉を食いました。車で2時間近くの遠出までして安楽亭。もう少しどうにかならないんでしょうか。でもここは横浜に住んでいたころ重宝していたのです。もともと深夜生活者である俺らにとって、朝5時まで営業してるというのはありがたい話でありまして。あんまり遅い時間に行くと、周囲から日本語聞こえてきませんけどね。
で、食った肉としては、ファミリーセットというとにかく安いのをひとつ。あとリブカルビというのを註文してみました。ファミリーセットはまあ、なんか「いやいいよ家で食うから」的な肉が出てきて、ソーセージとかも乗ってるんですけど、蓄肉スピリッツ満載の昔なつかしい味というか、まあともかくどうでもいい感じです。リブカルビは一人前630円もしやがるので、それなりのお味でしたが、まゆみさんは牛肉の牛肉たるゆえんであるところの肉の風味が嫌いなので、リブカルビはだめみたいでした。昔から俺の周囲には牛肉の嫌いな人ばかりが集まります。
で、そのあと南蛮屋という喫茶店に行きました。近頃神奈川で店舗数を増やしていくチェーン店らしいです。どんな店か知りたい人はぐーぐるさんに聞いてみてください。
スタバが世に蔓延しまくって「コーヒーを飲む」という趣味がやや一般化してきたのか、最近コーヒー専門店が少しだけ増えているような気がします。まあ、こう急速に店舗数を増やしているチェーンがあるってのはそういうことだと思うんですが。
まあ能書きはいいや。
内装はなんかヤケに凝ってました。入口はオープンカフェ風に開けっ放しになっていて、そこに「うちコーヒー屋だから。コーヒーしか飲めないから」という自己主張いっぱいのディスプレー。内部はダークブラウンというよりもはや黒に近いくらいの材木で統一されていました。照明はすべて間接照明、テーブルの上には小さな白熱電球をステンドグラスのホヤで覆った電気スタンド。まあ落ち着いた雰囲気といっていいでしょう。
よほど使い込んで何度もニスを塗ったような光沢が出てたんですが、店そのものは新しいはずです。新築でもああいう古い木造家屋みたいな味を出す技術があるのか、さもなくばどこかの古民家の建材を再利用したかだと思うんですけど。でもコストかかりすぎるよなあ、それだと。
喫茶店というのは、もちろん味を楽しむ嗜好品なんですが、それと同時に「おいしいコーヒーを飲むひととき」を提供する場所でもあります。どんなにうまいコーヒーでも、やっぱガストで飲むのは若干つらいものがあります。
さて、メニューなんですが、昨今のこの手のコーヒーにこだわりのある店では、必ずメニューに薀蓄が伴うことになっています。コーヒーってのは、ブラックで飲むと、豆によって呆れるくらい味が違うんですが、もちろん初めての人には、たとえばコーヒー豆のなかでも代表的な種類であるマンデリンやコロンビアでもどんな味なのか知らないわけです。そこで解説が必要、と。
で、この南蛮屋の場合は特上なんとやらってブレンドと「うまか珈琲」ってやつがおすすめらしい。初めての喫茶店ではブレンド飲んどけってのはだいたいの基本です。ただ、まゆみさんは極度にコーヒーの酸味が苦手なので、いちおーそれだけ確認してから註文。
なんだか喫茶店について語るブログと化してますが、あんまり気にしないでください。
で、味です。
特上のほうは、苦味とコク中心で、甘みも感じられる、というのがメニューの説明です。「うまか珈琲」のほうは、甘みとコク、あとまろやかさ中心みたいな感じらしい。
実際に飲んだ感じでは、意外にも特上のほうがトータルの味としてはやわらかい感じでした。焙煎の時期の関係かもしれません。そのへんまで行くと俺にもよくわかんないです。うまか珈琲のほうは、やや苦味のカドが立った印象でしたけど、まあトータルとしては確かにまろやかかな、と。どっちのコーヒーにも共通してるのは、ストレートの持つクセというかとがった感じを徹底的に消してあること。安心して飲める感じで、確かに店としてこれを押すのはよくわかる気がします。あと、特筆すべきは、焙煎からあんまり時間が経ってないせいなんでしょうが、後味にコーヒーの芳香のような部分だけが残って、エグみとかがいっさい残らなかったこと。違う種類のコーヒーの味を比較するときは、1回水を飲んで口のなかに残った香りを消すんですが、この店のコーヒーは、水で流してもほのかにコーヒーのいい香りだけが残る。こういうのは、そうは味わえません。
いつか日記に書こうと思ってそのまま放置状態になってるんですが、以前、甲府までドライブに行ったときに、ロシェという喫茶店に入ったんです。そこのコーヒーは、コーヒーチェリーのフルーティな感じがそのまま残ってるようなすげえ鮮度感で、それはそれで驚いたんですけど、というかすっげーうまかったんですが、南蛮屋のこの完成された感じというのも悪くないです。ほんと、コーヒーを飲みつけてない人でも、ブラックで飲んでおいしいと感じられるんじゃないだろうか。
ただ、どういうわけか、ほんのわずかな水っぽさが感じられました。濃さの問題ではないです。以前日記でも書いた加藤珈琲店のコーヒーは、そんなに濃くはなかったんですが、水っぽいという印象はほとんどなく、むしろクリアで引き締まった感じのする味でした。それと比較すると、ちょっと疑問が残る感じでした。
とはいえ、全体的に「おいしい」という印象は変わらないですけどね。
ところでまゆみさんは、マンデリンの攻撃的な苦味が好きらしいです。
以前、近所の行きつけの喫茶店で、俺が註文したコーヒーとまゆみさんが註文したコーヒーを、運んでくるおねーちゃんがどっちがどっちだかわからなくしてしまったことがあったのですが、俺がてきとーなのを選んで飲んだ瞬間、噴くくらいの攻撃的な苦味が襲ってきて、問答無用でマンデリンだとわかりました。
まあ、それはさておき。
伊勢佐木モールの南蛮屋はおすすめです。はい。コーヒーの苦味が気にならない人なら、特上なんとやらを飲んでまずまちがいないんじゃないかと。
さて、帰りの車のなかでは話をしました。
ここのところ俺は、烏蛇さんのとこの掲示板で「非モテは奢るべきか、奢らざるべきか?」というのをずっと読んでたのです。なかなか読みごたえがあったのですけれども、すでに旬も過ぎているし、俺自身は参加する気がまったくないのです。
俺は物事を俯瞰できないし、そもそも「この世界に通用する正しさ」というものにほとんど興味がないので議論というものはできません。自分なりの正しさといっても、俺の場合、極端な利己主義者なので、正しさもなにもないのです。正しくなくても自分にとって利益になるならそれでよし。たとえ世界が汚辱にまみれて、多くの人が悲鳴を上げていても、俺とまゆみさんが笑っていられればそれでよしです。もっともそういう状況では、そうそう笑ってるわけにもいかないんですが。
でまあ、まゆみさんにとってのヒマつぶしになるならば、と思ってこの話題を出したのですが、1秒くらい間を空けてですね、まゆみさんがしゃべり始めたときには、掲示板で出ていた目立った論点が立て板に水のごとくどんどん羅列されていくのです。この人いったいなんなんだろう、と不思議な気分になりました。しかしまゆみさんには知識がないはずなのです。それでなんで論点を網羅できるのか。
おそらくまゆみさんは、この問題に関する歴史的認識として「昔は男が外で働いていて、女はほとんど家庭にいた」くらいしか持っていないはずです。あとはバブルという時期があって、それが弾けた、くらいでしょうか。しかし、それでまゆみさんにとってはおそらく充分なのです。そういう過去があって、まゆみさんが現在見ている現状がある。だとすれば、あとは構造的に「見える」のでしょう。まゆみさんはナンプレというパズルをかなりやりこんでいるのですが、こうした問題もまゆみさんにとってはナンプレと一緒、ということでしょう。
「で、結論としてはどうなるわけ?」
「現実を見ろ、でしょ」
「いや、それを言ったら議論が終わるでしょ」
「じゃあ、好きにしろ?」
「それ、完全な禁句のひとつだよね」
「じゃあどうしろって言うんだ! みんななにをやりたいんだーっ」
「いやだからね、状況を俯瞰しててすね、みんながそれぞれ自分なりの正しさを持ち寄るわけですよ。そうした意見の交換のなかから、より強度の高い正しさってものが生まれるかもしれないじゃん」
「生まれねーよ」
「いや、だからそこは、そうは言っても……」
「確かに通用しやすい正しさ?は生まれるかもしれないけど、そんなの関係ないじゃん。生きてるの自分なんだから。状況を俯瞰?しないと自分なりの正しさなんて生まれない。だからわたしは俯瞰するんだよ。でもそれはわたしの正しさで、だれにもそれを強制する気なんてない。意味もない。逆に強制されたくもない。だから主張もしない。でも考えるのは好きなんだよねー。考えて、そのあとどうすればいいんだろう」
「ブログに書けば?」
「そしたら主張することになっちゃうじゃん! でも自分ひとりで考えてると、すぐに終わっちゃうんだよ。おもしろくないんだよ」
「もう、どうすれば……」
とりあえずは俺が聞くしかないんですが。
しかし俺にはモラルがないので、まゆみさんの話相手としては不適当であります。俺は自分の立場を変えつついろいろ相手になってみるのですが、すべて論破されて最後には「だから現実見ろって言ってんだろ。当事者はだれだ。おまえだろ」って話になってしまうのです。議論クラッシャーです。
しかしまあ、そのクラッシュっぷりもそうですし、クラッシュの前に出尽くす論点の豊富さ、その異常なスピード。それを見てるだけで充分おもしろいので、俺は今日もまゆみさんにネタ吹っかけるのでした。
ちなみに、奢る奢られるの話については「全部男の見栄が悪い。女としては断ると立場が悪くなる。だからしかたなく付き合う。しかたなく付き合ってやってるんだから奢れって気分にもなるよね」と申しておりました。まゆみさん自身は割り勘主義者らしいですけど。「そもそも自分のことは自分で、だろ。男も女も関係ないよ」とのことです。しかもまゆみさんは自分の主義を絶対にまげるつもりがないので、社会的な付き合いを持つのをいっさいやめてしまいました。まゆみさんが「引きこもり」を自称するのは、外に出て自分の主張をいっさいまげないと必ずトラブルが発生するため、俺という防波堤が存在しない場所にはいっさい出ないからです。いわれてみれば、引きこもりと構造は似ているような気もします。
ちなみに、俺と結婚する前は、実際にトラブルだらけだったもよう……。
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