昨日はまゆみさんが来てからバイトの教育方針で話し合い。
いま、まゆみさんは高校生のアルバイトに、発注と棚割を教えている。発注はともかく棚割は、コンビニの仕事のなかでもかなり難度が高いほうに入る。それはいってみれば答えの出ないようなパズルのもので、不確定要素しかない算数のようなものでもある。しかしまゆみさんに言わすと「こんな簡単な仕事をどうやって説明していいかわからない」ということになるらしい。こんなことになってしまうのは、まゆみさんの知能の高さも理由のひとつなのだが、それ以上にまゆみさんの思考が強度に理詰めであることに由来すると思われる。
棚割がパズルである以上、そこにはルールが存在する。そしてそのルールというものは、まゆみさんにとってはシンプル極まりない理屈でできている(売れるものを、売れやすい場所に置く)。ルールとしてそうなっている以上、あとのことは誤差に過ぎない。もし先週まで売れていたものが売れなくなれば、それはその商品に関するルールが変更されるだけだ。こうやってまゆみさんは、おそらく売場の全商品に対してルールを設定している。シンプルなルールを無数に操っている状態になる。当然、ルールどうしが干渉し合うこともあるが、そのときは「干渉しあったときのルール」を別に定めればよい。だから、まゆみさんにしてみれば、発注にしろ棚割にしろ、最終的には「発注した数だけなくせばよい」というところに還元されてしまう。要するに「シンプルな理屈に還元されることは簡単」という理屈になっているし、実際まゆみさんが物事を把握するときは、そのようにしている。
しかし、ふつうの人間には、そもそも複数のルールを並列させて適用することが難しい。その「難しい」がまゆみさんには理解できない。
逆にいえば、まゆみさんはルールが定まっていないことを理解するのが苦手だ。たとえば俺は海を見ていればそこに無数の物語を見出すことができる。しかしそこに規則性はない。こっちの気分の問題もあるし。要するに海の光景と自分の情緒を恣意的に結び付けているだけだ。もっとも恣意的とはいっても、そこにはある程度、他人との共有の可能性がある。人が海に関してできる体験はだいたい似たようなものだからだ。
まゆみさんにとって、海とは「海」という抽象概念にしかならない。そしてその概念は数式のように厳密だ。その厳密さが他人に通じないとき、まゆみさんはなにも説明できなくなる。
家に帰ってからパスタを作る。いや時間ないからてきとーに。
まゆみさんはカレー味のものが好きなので、カレー味のパスタを作る。たまねぎとひき肉を炒めて、ハインツのデミグラスソースとカレー粉をぶち込んで完成。実に簡単。まゆみさんは気に入ったようです。
あとはドラゴンボール見てました。プーアルが出てこなかったので、俺にとってはどうでもよかったです。俺はあの生き物が大好きです。
コメント