おでん永久機関説というのをご存知でしょうか。
おでんを作る。
食べる。
鍋に隙間ができるので、具材を補充します。
煮ます。
食べます。
鍋に隙間ができるので、具材を補充します。
つゆが混濁してくるので、新しいつゆを作って、前からある具材を投入します。
煮ます。
食べます。
おでんに飽きます。
しかしすでに買ってしまった具材を放置するわけにもいかず、さらに食べます。
そのうち、この世界にはおでん以外の食いものはないような気がしてきて「おでんのある生活」に順応してしまうのです。つまり、主食がおでんです。
パスタとかが遠くに思えてきます。
それは1月の半ばに始まる物語。おでんとともに過ごしたあの季節を僕は忘れない。十年経っても、きっといつまで経っても忘れられないおでんの季節。あのころ、僕らはちくわぶだった。白滝の小さな結び目。くずぐずに煮崩れた昆布。メークインが根性なく鍋の底で崩れている。アルミ製の黄金に輝く新しい鍋のなかに、僕らの時間が溶けていく。
「家のなかがダシくさいね」
「うん。きっと明日もそうだよ。だって、僕らはおでんだから」
たぶん、外は嵐。僕らを守るのは、築20年は確実に経過している、外壁が黄色いこの趣味の悪いアパートの薄い壁だけ。暖房も満足に効かないこの部屋のなかで、ストーブの上で煮えているおでんだけが、僕らのすべてだった。
そして僕らは気づく。
具材買うのやめればいいんじゃん。
そもそもの原因は、おそらくまゆみさんにあると思うのです。責任の所在について議論するとまゆみさんには絶対に勝てないので、あんまりこんな話はしたくないのですが、まゆみさんは、とにかくおでんの具材が大好きなのです。特に白滝とちくわぶとこんにゃくとはんぺんと大根と昆布とさつま揚げが大好きです。これでほぼおでんの主要具材は完全に網羅しているといえるでしょう。おでんはバランスが大事です。俺はがんもと玉子さえあればおでんはそれでオッケーだと思ってるので、俺におでんを作らせると、鍋のなかががんも地獄となります。それはひどいありさまです。まゆみさんはいろいろ食べるのですが、それでも優先的にさつま揚げがなくなったり、ちくわぶがなくなったりします。そこで具材を買い足すのです。これの繰り返しでおでんはいつまでも続くのです。
俺は言います。
「こんなこと……長く続くはすがない。まゆみさん、いつかは終わりにしなきゃだめなんだ」
「あたりまえじゃん。あんたなにいってんの?」
まゆみさんの答えはいつでも明快です。よく竹を割ったような気性、という表現がありますが、まゆみさんの前では竹は最初から割れています。手を出すにしても、爆砕点穴(通じるのか、このネタは)に近いような雰囲気で、対象(というか俺)を粉々にして終わりです。そしていずれにしてもまゆみさんはちくわぶを買うのです。
ちなみに冒頭のテキストは、「Kanon」というエロゲの、一日が始まる前の、白い画面に流れるテキストを頭のなかに思い浮かべながら書きました。おでん。おでんを食べている。そして最後は「おでん以外の食べ物がどうしても思い出せない」とかで終了です。そしてエンディングでは「春になって、ずっとおでんだったらいいのに」で終わります。
よくねえよ。
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