俺らの家のある場所は、神奈川県のとある半島です。その半島のなかを車でぐるぐると移動して、生活しているわけです。最寄のドトールまで車で15分、最寄のホームセンターまで車で30分。とにかく車がないとまったく生活できません。
そういう場所ですので、大規模な繁華街などもありません。
もともとは横浜の都心部で生活していた俺やまゆみさんにとっては、夜も8時を過ぎると人通りのなくなる商店街というのは、それ自体が一種のファンタジーですらあります。そういう場所ですので、浮浪者なんてものを見かけることもほとんどありません。
ただ、ひとりだけいます。
車で出かけるたびに、ほとんど確実に毎回見かけるその道のプロの方がいるのです。
都心部でコンビニをやってたころは、よくも悪くもとにかく浮浪者というのは、そう遠い存在ではありませんでした。やつらよくコンビニに来るのです。人相風体がものすごく特殊ですから、記憶にも残りやすい。残したくなくても勝手に残るのです。
以前、横浜で店長をやってたころ、常連の浮浪者の方が数人いたのですが、店では「あの浮浪者の人」というようにも呼びにくく、とりあえず便宜的に、A君、 B君、C君と呼んでいました。なぜそうなったのかはわかりません。そして彼らの職業についても「浮浪者」ということではなく「都市生活のスペシャリスト」とか「スーパーアウトドアーズ」とかそんなように呼んでいたような気がします。それでは長いということで、いつしか、その道のプロという意味合いで「本職」と呼ぶようになりました。そしてそれでは愛想がなさすぎる。ここはもっと親近感をこめて「本職さん」と呼んでみてはどうか。
そんなわけで、俺とまゆみさんは、浮浪者のことを「本職さん」と呼んでいます。
そして、この半島で、たった一人、車で出かけるたびに必ず見かける本職さんがいるという話です。
その本職さんは、えんじ色のよくわからない上着を着ています。近くで見ればわかるんでしょうけど、見たくもないし、見たところでそれが生地であるのか、あるいは彼の皮膚が進化した一種の装甲のようなものなのかわからないかもしれません。というのは、彼は、夏でも冬でも同じ服を着ているのです。考えられることは、彼が寒さに極度に強いのか、あるいは暑さに極度に強いのかのいずれかなんですが、もしそれが彼の皮膚であるのだとしたら疑問は氷解します。
外見は、究極まできわまったジーザスクライストスーパースター風ではないです。浮浪者のなかには、たまに人間というよりはなんかの樹木のように数千年の時を経たような風格と汚れをまとった人がいるものですが、そこまでは到達してません。ただ、風景のなかで、彼だけが水墨画のような薄墨のような、ぶっちゃけ小汚ねえ感じがすることは否定できません。
彼の速度は遅いです。人間はだいたい時速4キロほどで移動しているといいますが、彼はおそらく時速400メートルくらいです。荷物が多いのです。なにが入っているのか想像もつかない不思議なゴミ袋を4つか5つくらい持っています。いや、引きずっています。映像に関する記憶力が異常なほどいいまゆみさんは、本職さんを見るたびに、
「あ、ゴミ袋ひとつ増えてる!」
「減った!」
などと綿密にチェックしています。ほんとになにが入ってるんだろう。俺が思うに、布団はまあ確実として、着替えはないと思うんですよ。いつも同じもの着てるから。ただ、なんか新しい生命は発生してる可能性が高いと思うんです。どんな過酷な環境でも生きられる新種の乳酸菌とか。腸まで活きて届くどころか、排泄されて浄水場で消毒されてもまだ生きてるような。一種の環境汚染っぽい乳酸菌。
それで思い出しましたが、以前、まゆみさんがバイトをしていたビルのそばで、浮浪者がなにかを煮ているのを目撃したことがあるそうです。基本的に物見高いまゆみさんですので、ついなにを煮ているのかと思って覗き込んだそうです。
煮ているのは服でした。
まゆみさんは、顔面蒼白になりながら思いました。
「煮沸消毒!!」
すぐに逃げたそうです。
で、半島在住の本職さんなんですが、ほんとにどこにでもいるのです。いちばん多く見かけるのは、畑のまんなかです。といっても、別に収穫に満足しながら空を見上げるファーマーのように存在しているわけではありません。畑のまんなかを突っ切る国道の歩道に座っているのです。なんかハウスシチューのCMかなんか思い出した。畑のまんなかに浮浪者が立って「おーい」とか手振ってんの。場面変わってログハウスとかのなか。シチューかなんかほおばりながら「収穫の秋。自然はうまい」とかゆってる。でも浮浪者。
地に広がる一面の緑。四季おりおりの野菜たちのなかに佇んでいる浮浪者。どっちかっていうとレアなイメージです。とりあえず競争相手がいないので、あんがい生活しやすいんじゃないでしょうか。ゴミだって漁り放題。コンビニやスーパーの生ゴミだって、距離を移動する覚悟さえあれば、荒らされていない新品が手に入ります。戦わなければいけない相手はカラスくらいのもんじゃないでしょうか。
このあいだ、ついに本職さんがこちらを個別認識しました。
一日に何台となくすれ違う車のなかで、俺らのサンバーたんを記憶してしまったらしいのです。畑のまんなかの一本道。向こうがわから本職さんが歩いてきます。1on1 at 畑。本職さんはあきらかに「あー、いつもの」という目でこちらを見ました。まあ、すれ違うたびに「本職さん発見!」と指さしてたら、そりゃ覚えられもしますね。
そんなわけで、俺らは明日も車で移動します。ゲーム感覚で本職さんを探しながら。元祖ゲーム世代。しかしこの世界はゲームではありません。この濁世を、本職さんも、そして俺たちも生きています。そんなおおげさなもんじゃありません。今日もなんだかわからなくなりました。そしてまゆみさんはほとんど登場していません。
で、タイトルをなんにしようか迷っています。読んだ方はすでに結果を知っているわけですが、「まゆみさんと浮浪者」だけは避けたいと考えています。
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