ちょっとオタ話書いてみます。
現在36歳の人がどんなふうにオタ趣味やってきたか、みたいな。若い方は基本的に退避推奨。てゆうかなに言ってるかわかんないと思う。あと部分的に横浜ローカル。
明確にオタ趣味を始めたのは20歳近くになってからなんですが、小学校高学年くらいからアマチュア無線に興味を持っていたので、秋葉原に行くようになったのはそれがきっかけだろうか。だから、ざっと25年前ですか。……そんなになるのか! 四半世紀じゃねえかよ!
免許だけは相当に早い段階で取得したんだけど、金がないせいもあって、自分では局は開設しなかった。ただ、いまにして思うと、別にアマチュア無線がやりたかったわけじゃなく、ハードとしての無線機が欲しかったんだと思う。オーディオでもそうですけど、結局、金=スペックの世界で、そのスペックそのものに憧れたりするわけです。そう。性能そのものに憧れがあるんですよね。そして、スペックでは割り切れない、たとえばデザインだとか、あとはメーカーなりの個性ですね。当時の無線機でいえば、感度のアイコム、パワーのヤエス、みたいな。ちなみに俺にはケンウッド製品のデザインに対する信仰みたいなのがあるんですが、これは無線機が欲しかった、このころに端を発してます。
そんなわけで、このころよく行っていた場所が、当時石川町にあったパーツ屋です。俺自身は当時もいまも機械いじりには興味がないんだけど、よく無線好きの人間に連れていかれてました。そして、その石川町よりもさらに素敵な場所があって、そこは秋葉原というらしい、という知識があった。だれかから聞いたのか、CQっていう雑誌から仕入れた知識なのかはわからないですけど。
初めて行ったころの秋葉原は、まだ白物家電の町の印象を残しつつも、無線とオーディオの町でした。ラジオストアのカオスっぷりに驚愕したり、いったいいくつあるんだかわからないロケットとか石丸を全部回ったり。高級オーディオというものに触れたのも、秋葉原が最初だと思います。当時は音とかはよくわからなかったので、やっぱりこれもハードへの憧れから始まってるような気がします。それが1980年代前半。
高校に入るか入らないかくらいから、バカに大量に音楽を聞くようになりました。といっても金がないので、主な音源はFMラジオ。購入してた雑誌はFMステーションでした。金はほとんどない、しかしいい音で聞きたい。そうなったときに工夫ってのが必要になります。まあこの世代のだいたいの人がそうであるように、とりあえずカセットテープの選択あたりから入るわけなんですけど。その先にやっぱり単品オーディオというものが見えてくるわけです。なぜか最初からセット売りのコンポとかにはほとんど興味がなかったです。で、そういう単品オーディオを試聴できる場所となると、やっぱり秋葉原なんですな、これが。小金がたまるたびに、メシ抜きの覚悟で月一度くらいは秋葉原に行ってました。
1980年代の秋葉原ってのは、ほんとにメシを食う場所がないところでした。こっちの金がないってのもあるんですけど、安くあげようと思ったら、ほんとに立ち食いそばくらいしかないんですよね。
初コミケが19歳くらいのとき、つまり1989年だったと思うんで、実質オタ趣味ってのにのめりこみ始めたのがそのころですね。当時はコミケのカタログっていうのは、書店売りは、神田の高岡書店か、新宿のまんがの森くらいしかなかったと記憶してます。そのうち新宿は完全に行動範囲から外れてたんで、やっぱメインの場所となると高岡ってことになります。
昔から本は好きでしたんで、秋葉原とならんで神田は聖地だったわけです。いまと違ってアマゾンもないですから、欲しい本があると足で探すしかなかった。大島弓子とか山田ミネコ、あとは吾妻ひでおや内田善美みたいな、その当時ですら入手が難しい作家の本を集めてました。当時はブックオフがなくて、町の古本屋さんというのがかなり生きてました。マンガに関しては、よほどの専門店以外、相場とか価値とかわかってないで放置状態の店が多かったんで、サンコミックス版の大島弓子だの高橋葉介だの、吾妻ひでおのプリンセスコミックスだのが100円で買えたりしたわけです。俺なんで「オリンポスのポロン」とか「ふたりと5人」売っちゃったんだろうなあ……。あれだけ苦労して集めたのに。
古本屋めぐりの終点が神田だったわけなんですけど、神田って昔からマンガは相手にしてない町だったんですが、それは知らないで行ったわけです。例外的にマンガを扱ってるのが、上述の高岡書店、そして芳賀書店、書泉グランデはもう少し後になってからできたんだったかなあ。このへんは記憶が曖昧。
俺はずっと横浜で暮らしてたんですが、まんがの森ができるまでは(あれはいつだったかなあ。1990年代半ばくらいだったと思うんだけど……)、シャルの5階にある栄松堂か、有隣堂のコミックコーナーくらいしかあてにできる場所がなかった。青林堂なら関内のセルテとか。新刊でどうしても見つからないものがあれば、神田の書泉グランデに行くしかなかったような時代ってのがあったのです。
パソコンをいじるようになったのがMS-DOSの時代になってからと、まあそんなに早いほうではなかったので、パソコンの町としての秋葉原を意識したのはだいぶ遅くなってからです。というか、もともとパソコンに関してはハードには興味がなかった。ソフトについては、コミケに行くようになった1990年代初頭から、同人ソフトってかたち(ローダー込みでフロッピー1枚におさまるようなCG集とか)で手に入れるようにはなってました。
エロゲについては、同級生だとかプリメ(これはエロじゃないです)だとか細々とやってたわけですが、あの時代のソフトっていうのは、金の有無云々以前に「自分で入手する」ものではなかったように思います。ふつうにどこで売ってるかわからんかったし。なんとなくコピーで回ってきて、いつのまにか大量のフロッピーが手元にあるような。そんなものだった。
圧倒的にエロゲにのめりこみ始めたのは「ToHeart」発売以降なんで、かなり遅いです。ちょうど神田にとらのあなができて、秋葉原がオタの町となっていく過程と重なっていた時期じゃないかと思います。確か同人を扱う店って、とらのあなより先にいくつかあったような気もするんだけど。
まあそんな感じ。
俺は、昔から特定のコミュニティに属することが下手な人で、ずっと一人で(途中からは友人と)オタ趣味やってたわけですけど、広い目で見ると、現在36歳っていう年齢の人のオタボリュームゾーンには含まれてる気がします。
いかなる意味でも「いまより昔のほうがよかった」という考えは持たないようにしてる人なんで、懐古趣味はないはずなんですけど、秋葉原って町と自分のかかわりかたの変遷を思うと、なんだか感慨深いものはあります。
ほんとにパソコンって融通の利かない夢の箱だったなあ。
ところで俺のオタ趣味遍歴で、まんだらけの名前が一度も出てこないのって、やっぱ住んでた場所が横浜で、中野なんか行く機会なかったからだろうなあ。
ネットの普及とともに、情報なんてぐぐって一発、みたいな時代になりました。
知りたいことがあれば図書館に行くか、オタ趣味なら店そのものが情報の発信源っていう時代が過去にはあったわけですけど、まあ、変わったなあと。ほんとにいろいろなことが。かつての地方と都市の格差ってのは、そういう意味でもかなりのもんだったんでしょうね、おそらく。
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